メインページ | アーカイブ | ヒューマン・ラボ »

会社のヒミツ

「ロイヤルホスト株式会社」

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「ロイヤルホスト株式会社」のヒミツに迫ります。
 
ロイヤルホスト株式会社は、1950年設立、1951年に
日本航空国内線の営業開始と同時に福岡空港にて機内食搭載と
喫茶営業を開始したのが創業。
 
その後製菓、製パン業を開始しロイヤルベーカリーを設立。
1953年には福岡にて本格フランス料理レストラン
「ロイヤル中洲本店」を開店。
 
ここには当時、夫、ジョー・ディマジオとの新婚旅行で
日本に訪れていたマリリン・モンローが来店しました。
 
高級レストランだけではなく、多くの方に来店してもらえる
レストランを作りたいと考え、1969年に
セントラルキッチンを建設。
冷凍技術の向上と調理の安定化で、高い品質の料理を
手ごろな価格で提供することが可能になります。
 
1970年には大阪万国博覧会のアメリカゾーンに
外国店扱いで出店、ここでの成功を受け、1971年に
郊外型ファミリーレストランの「ロイヤルホスト1号店」を
北九州に出店。
 
1977年に東京進出、現在は北海道から鹿児島まで
全国で232店舗(放送日時点)を運営しています。
 
お話を伺ったのは、ロイヤルホスト株式会社
ブランドコミュニケーショングループ課長吉田弘美さんです。
 
Q「ロイヤルホスト」という名前の由来を教えて下さい。
 
ロイヤルホストの名称ですが、ロイヤルは「王道、王様」
という意味、「おもてなし」という意味のホストをあわせ、
心豊かなおもてなしをするレストランという意味です。
 
Q「ロイヤルホスト」の1号店は、いつごろ、
どこにできたお店ですか?また現存するお店ですか?
 
ロイヤルホストの1号店は1971年12月、北九州の黒崎に
オープンしました。ロイヤルホスト黒崎店はその後、
名称がロイヤルホスト青山店となりました。
現在は業態転換を行い、カウボーイ家族青山店として
営業をしております。
 
Q「ロイヤルホスト」の人気メニューナンバーワンは、
何ですか?
いつごろ、どんなきっかけで作られたメニュー
なのでしょうか?
また現在までの累計販売数は?
 
ロイヤルホストの人気メニューはいくつかございますが、
やはり「国産黒×黒ハンバーグ」かと思います。
ロイヤルホストの看板メニューとなるような
ハンバーグをつくる、というテーマで商品開発を実施。
国産の黒毛和牛と黒豚を7.5対2.5の黄金比率で配合して
つくるハンバーグを2009年9月に販売開始します。
 
その後、さらに美味しく、ということでソースを改良。
黒毛和牛と黒豚の素材のよさにあわせてさらに
リッチなソースを、と、バターや生クリームを
たっぷりと使い、醤油をアクセントにごはんに合う
ソースつくりました。
 
また、昨今人気があるのは、アメリカ産の
アンガスビーフの中でもおよそ2割程度しか認定されない
サーティファイド・アンガス・ビーフの
リブロースステーキや、3日間かけて低温でじっくりと
乾燥させるヴェリーニのパスタ
(イタリア本場でも星付きレストランが使用するなど人気)、
北海道の猿払村で水揚げされた良質でうまみのある
帆立のメニューなどが大変人気です。
 
Q上記、人気メニューの開発のポイントを教えてください。
 
ロイヤルホストの看板メニューをつくりたい、ということと、
黒毛和牛と黒豚の素材の良さを引き出すソースの開発を
行ったことです。また、アンガスビーフやヴェリーニのパスタ、
猿払村で水揚げされた帆立など、生産者の方々に直接お会いし、
そのこだわりを含めて多くの方に料理としてご紹介をしていく、
という商品開発にも力を入れています。
 
Q「ロイヤルホスト」というと「カレーフェア」ですが、
31年目だそうですね。このフェアはどんなきっかけで
スタートしたものですか?
 
31年間の中で印象的なエピソードなどあれば教えてください。
カレーフェアは9月17日で終了いたします。
このカレーフェアは、1983年に第1回を実施し、その後今年で
31年目となるロイヤルホストでも最長で、お客様からの
人気も高いフェアです。
 
スタートしたきっかけは、インドなど暑い国のカレーは
夏にぴったりのメニューであること、セントラルキッチンの
ノウハウを存分に活かせることなどからスタート。
第1回のフェア開始当初から食材としてラム肉を使ったり、
香辛料(スパイス)をふんだんに使ったカレーを販売するなど
「夏はカレー」という文化をつくってきたといわれるほどの
フェアとなりました。
 
1983年の第1回から人気のカシミールビーフカレーは
今年の31年目のカレーフェアでも健在です。
 
Qそのほか「ロイヤルホスト」の商品に関するなにか
面白いエピソードなどあればお願いします。
 
1)イタリア料理フェア
今年も9月18日からスタートするイタリア料理フェアは、
第1回が1980年でした。
この当時、本場イタリアのアルデンテ
(少し芯が残った状態でゆであげること)のパスタは
ほぼ浸透していなかった中で、店舗でアルデンテの
スパゲティを販売し、お客様から
「まだゆでてないのではないか」と苦情を
いただくなどのエピソードが残っています。
今年はイタリアから「水牛のモッツァレラチーズ」
「エキストラヴァージンオリーブオイル」「シチリアワイン」
「アンチョビ」「ブカティーニ(穴のあいた太麺のパスタ)」
といった5つの食材を厳選し選べる定食スタイルで提供します。
 
2)海外フェア
ロイヤルホストは「世界の食文化を日本の多くの皆様に伝える」
という創業者の考えのもと、各国のフェアを開催しています。
たとえば1981年のドイツフェアやラテンアメリカフェア、
1982年のハワイフェア、ロシアフェアなどのほか、
90年代にはインドネシア、タイ、マレーシア、ベトナムなどの
東南アジアの料理フェアなどを開催。
このノウハウがロイヤルホストの料理にいかされています。
 
3)淡路産玉ねぎのオニオングラタンスープ
オニオングラタンスープに使うコンソメスープは、
福岡のセントラルキッチンで1晩かけて丁寧につくるスープが
味のポイントです。
 
4)11種野菜の自家製テリーヌ
11種の野菜と海老などの具材を、野菜をカットし、
それぞれ茹でたりフライアップしたりして下準備を
するところからお店で実施。
セントラルキッチンでつくるコンソメゼリーを注ぎながら
1つ1つ丁寧に素材を手作業で重ねていきます。
お店でつくっているのですか?とよく驚かれる1品です。
 
5)サンシャインパートナーメニュー
いつまでもイキイキと輝いていること、
そんなテーマをもってつくったメニューが
「サンシャインパートナー」です。
野菜やお肉とのバランス、咀嚼を高めて
満足感のあるカレーなど、ポジティブに健康を
意識したメニューを紹介しています。
 
6)デザート
クレームブリュレパフェやアサイーナチュラルパフェなど、
他にはなかなかない食材やデザートをご用意しています。
 
Qそのほか、オススメのサービス、キャンペーンなど
PRしたい案件があればお願いします。
 
9月18日からスタートする「イタリア料理フェア」が
直近のおすすめです。

ロイヤルホスト株式会社 オフィシャルサイト
http://www.royalhost.jp/

-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

オリオン株式会社

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日はココアシガレットなどでおなじみ、
「オリオン株式会社」のヒミツに迫ります。
 
「オリオン株式会社」は、大和製菓として1948年に創業。
1951年、ココアシガレットを販売します。
翌年の1952年、タバコのピースのデザインが改装されたと
同じ頃に今のパッケージデザインでココアシガレットを
発売しました。
 
1957年に オリオン株式会社 設立。
その後1972年に梅ミンツ、1978年にミニコーラなど、
おなじみのお菓子を発売してきた会社です。
 
お話を伺ったのは、
オリオン株式会社 企画部高岡五郎さんです。
 
Q「オリオン」という社名の由来を教えて下さい。
 
聞いた話ですが、横文字で最後に“ん”が付くのが
運がいいということで星座にちなんで
オリオンという社名になったらしいです。
 
会社設立の時に出来たトレードマーク”笑い星“は
商品を買ってもらった人に笑顔を提供する
という目的で作られました。
 
オリオンには「4c」とよばれるキャッチフレーズがあります。
これは高価なダイアモンドの4c
(カット、カラット、カラー、クラリティ)に
引っ掛けているんです。
1個20円.30円の駄菓子にも4cがあったら
おもしろいやないかと、そこで見て楽しい、もらって
うれしい、食べて美味しい、また欲しいという我社の4c
(4つの~しい)が生まれました。
5ツ星の商品(ロングセラー商品)になるのは全社員の魂が
(たましい)が必要やというオチが付きます。
 
Q「オリオン」のロングセラー商品といえば、
「ココアシガレット」ですが、いつごろ、
どんなきっかけで作られた商品なのでしょうか?
また「ココアシガレット」の現在までの累計販売数は?
 
創業よりココアシガレットの元になるものを
作っていたようですが1951年に発売されました。
 
戦後まもない頃、まだテレビのなかった時代を
思い浮かべてください。
当時は地震、雷、火事。おやじというくらい、
父親に威厳がありました。子供たちの情報源としては
学校と家庭しかなく縁側でタバコを吸っている
父親の姿をみて大人への憧れを持ったものです。
 
鳩がオリーブの葉をくわえているピースのデザインは
アメリカの商業デザイナーレイモンドローウィに
よるもので昭和27年4月に発売されました。
 
ピースのデザイン改装にあたって、ローウィに支払われた
金額は150万円。当時の内閣総理大臣の月給が11万円から
見てもすごい報酬だったことがわかります。
 
当然、マスコミなどでも話題となりましたが、
この新しいデザインのピースが発売されるやいなや、
売り上げは、前年同月に比べ3倍にもなりました。
のちに商業デザインの成功例として取り上げられる
ピースのデザインは、復興期にあった日本の産業界にも
強い影響を与え、「デザインが嗜好まで変えた」とも
いわれました。
 
また、その濃紺地は「ピース紺」という新しい
色調を生むなど、一般の人々の間にもデザインに
対する関心を深めるきっかけとなりました。
ということでほとんどのお父さんはピースを吸うように
なったのです。これに目をつけたオリオンはパッケージの色を
紺色にして街の駄菓子屋さんに並べたとこと
子供はとびついて大人がするように口にくわえ大人の気分を
味わったようで、あそんで食べるお菓子として
爆発的に売れました。
 
Q「ココアシガレット」の開発のポイントを教えてください。
 
発売当時はシガレット菓子といっていろんな会社が
シガレット型の菓子を販売していました。
発売時のココアシガレットは高価なチョコレートは
使えないのでココアを使って中身の茶色い部分を形成し、
外側の白い紙の部分をハッカの香りがするようしました。
口にくわえた時にスースーするように工夫しました。
平成3年に一部製造方法を変更して二億円をかけて
完全自動化して生産現在の形になる。
この時に価格を30円にする。発売60周年を迎えた2011年から
子供に喫煙を助長するお菓子から、
禁煙グッズに変身。オリオンはあなたの禁煙を応援します。
とパッケージに書いております。
 
Q そのほか「オリオン」の商品に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
 
●聞いた話ですが、昭和30年代前半愛知県の
児童審議委員会というところから子供の喫煙を助長すると
販売を自粛しなさいという指導がありその地域の販売を
自粛していたら、かえってそこに他の地域から商品が
入ってきて余計によく売れた。
 
●昭和48年(1973年)発売
梅ミンツ サラリーマン愛用の仁丹の姉妹品梅仁丹が
はやったので梅ミンツを販売。
子供の間では梅仁丹と呼ばれていた。
 
ココアシガレットがタバコだったので、梅ミンツの容器は
Dunhillのライター型容器をつくった。
中身が見える菓子は菓子一杯入れないと
入れないので大変だった。
今は蓋など衛生的な形状になっています。
 
●ミニコーラ 1967年に100円札が廃止になって
高度成長期が始まります。
万博でプルトップ付き買える自動販売機が道端に出回ります。
でも自動販売機で売られているのはコーラとか
コーヒーばかりで子供用の飲み物はほとんどなく、
まして子供のお小遣いで100円はちょっと
手の届かない存在でした。
 
そこに目を付けたオリオンが醤油の蓋の応用で
プルトップ式のラムネを開発しました。
問屋の人はこんな乾電池みたいなものが売れるのか?という声を
聞きながら駄菓子屋さんの店頭に並べたところ、
子供はプルトップを引きちぎって、
本当のコーラを飲むようにミニコーラを食べました。
 
弊社のトラックの積荷が盗まれるようなこともあり、
他社からも類似品が出回りました。
 
売れた売れたと喜んでいると1979年7月に
ご本家コカ・コカ・コーラボトラーズ
から不正競争防止法第一条第一項に該当すると
販売停止の要請がありました。
 
この間にオリオンは意匠登録と
商標登録の申請をしておりました。
 
そして10年間の審査及び裁判の結果、
奇跡というかどういう訳かオリオンの申請が
本国内に於いて全て認められたのです。  
無断で海外に輸出されてその国の
コカ・コーラから警告文が来た例もあります。
まさにこれこそオリオン魂???これに味をしめて
いろいろパロディ商品を発売していったのです。
 
「食べルンです」という商品は 写ルンですを模した
商品でしたが、本家の富士フィルムからフィルムの景品に
使いたいということで大量の注文を頂いたことがあります。
 
もちろん怒られたこともしばしば、イモムシ型の
グミキャンディーをウィンナーの袋に入れた
「シャレデッセン」はグミの形が気持ち悪いと不評で
売れなかったのですが、ダルビッシュさんのいた
チームから警告を受けました。
 
Q そのほか、オススメのサービス、
キャンペーンなどPRしたい案件があればお願いします。
 
まだまだ暑い日が続いていますが、今年から
鹿児島県姶良市のランドアートさんとの共同開発で
熱中症対策の「梅塩飴タブレット」というのを作っています。
 
ランドアート社は小学校の時使っていた竹のサシを
作っていたことから土木測量、建築関係に業務用として
熱中症対策グッズを販売されています。
 
また兵庫県加古郡稲美町の岡野歯科医院の院長との
共同開発で「歯医者さんは目がいのち」の
キャッチフレーズで販売している
「キシリブルーベリータブレット」は
全国の歯医者さんにも置いてもらっています。
 
また「ビリケングミ」や「ひこにゃんグミ」など
お土産物も作っています。
このように駄菓子作りの技術を使って新しい分野での
商品を提供しております。
次のターゲットはくまモンです。
 
楽しいお菓子をいっぱい作り続けますので
皆さん応援よろしくお願いいたします。
 
オリオン株式会社 オフィシャルサイト
 
スタジオにもココアシガレット!!

ココアシガレット.JPG
 
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

株式会社 公募ガイド社

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「月刊公募ガイド」でおなじみ、
「株式会社 公募ガイド社」のヒミツに迫ります。
 
「株式会社 公募ガイド社」は、
●出版事業として、月刊公募ガイドの編集、発行
 
●モバイル事業として、ケータイ公式サイト
「公募懸賞ガイド」運営
着うたサイト「昭和の青春ポップス」運営
 
●教育事業として、通信添削「作品添削講座」運営
 
●コンサルタント事業として、公募イベントの企画立案、
事務局の運営などを行っている会社です。  
 
お話を伺ったのは、株式会社 公募ガイド社
月刊公募ガイド編集部黒田 清さんです。
 
Q「公募ガイド社」という社名の由来を教えて下さい。
 
月刊公募ガイドを発行する版元ということで、
公募ガイド社となりました。
 
Q「公募ガイド社」を代表する出版物といえば、
雑誌「月刊公募ガイド」ですが、この雑誌は、
いつごろ、どんなきっかけで作られた雑誌なのでしょうか?
 
1985年(昭和60年)に、季刊誌として1年間4号発行し、
5号目から月刊化しました。
 
公募コンテストが一大ムーブメントとなったのは戦後のことで、
昭和50年代にも、企業から自治体まで、いろいろな主催者が、
ネーミングから彫刻に至るまで、いろいろな作品を公募していました。
それら、新聞や雑誌に、それぞればらばらに載っている情報を
ひとつに集約しようということで企画されたのが「公募ガイド」です。
 
Q「月刊公募ガイド」の現在の発行部数は?
また、編集コンセプト、これまでのヒット特集企画などを
教えてください。
 
発行部数は10万部。
 
編集方針は、「公募を楽しんでいる方に、より多く、
より詳しく公募情報を提供する、そのことで、
プロになりたい人や賞金を稼ぎたい人の夢や希望を
バックアップする」
 
2013年2月号特集「作家を目指す君に」
石田衣良さん、村山由佳さん、桐野夏生さん、
湊かなえさんなど、公募ガイドを見て応募し、
プロになった作家のコメントを紹介。
 
2013年5月号特集「人は何歳まで作家デビューできるか」
最近では50代、60代でのデビューも珍しくなく、
70代でデビューする人もいる。その謎を探った。
 
Q「月刊公募ガイド」には、さまざま公募企画が
掲載されていますが、特色ある公募企画
(かわった企画、懸賞金が高い企画)
などあればいくつかご紹介ください。
 
文芸関係の最高賞金は、2005年~2010年まで実施されていた
「ポプラ社小説大賞」で、賞金は2000万円。
 
有名な名称等で、実は公募で決まったというものは、
新幹線ひかり・こだま、ハローワーク、日産サニー、
日産マーチ、トヨタパブリカ、OLという言葉、
西城秀樹という芸名、「なんてったってアイドル」という
タイトルも公募。
 
デザインでは、非常口のデザイン、1円玉のデザイン、
エコマークも公募。
 
歌では、青葉城恋歌の歌詞、与作の歌詞とメロディー、
巨人軍の「闘魂込めて」の歌詞も公募。
 
Q そのほか「公募ガイド社」の出版物に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
 
今年創刊28年で、たまたま誌上で「購読年数番付」という
企画をしましたが、当然ながら、1位は「創刊号から購読」
という方々でした。
その中には、公募ガイド創刊以前から応募が好きで、
投稿歴70年という83歳の方がいました。
 
創刊10年くらいまでは、作家にインタビューを依頼しても、
「公募ガイドって、何?」と言われることが多かったですが、
最近では、「アマチュアのときに読んでたよ」と
言われることが多くなりました。
現在、40代~60代の作家では、
大半が「読んでました」と回答されます。
先日、山本一力さんに取材しましたが、やはり、
「毎月読んでいた」とおっしゃっていました。
 
Qそのほか、オススメのサービス、キャンペーンなど
PRしたい案件があればお願いします。
 
夢をもっていろいろな賞に応募しても、さっぱり入選しないと
いう方もおり、そんな方々のために、公募の入選を応援する
通信添削講座「作品添削講座」を、2005年からやっています。
ジャンル的には、小説、童話、エッセイ、シナリオ、作詞など。
公募対策1回コースでは、1作品単で、プロの講師が
アドバイスをしています。おかげさまで、
本通信講座を経て、文学賞を受賞する方も出てきました。
 
今日お話を伺ったのは、株式会社 公募ガイド社
月刊公募ガイド編集部の黒田 清さんでした。
黒田さん、ありがとうございました。
 
「株式会社 公募ガイド社」オフィシャルサイト
 
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

「株式会社 小松製作所」

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「株式会社 小松製作所」のヒミツに迫ります。
 
コマツはブルドーザーや油圧ショベル、ダンプトラック、
ホイールローダーなどの建設機械の開発・生産・
販売をしています。
 
また建設機械の他、大型プレスなどの産業機械も
生産しています。1955年に初めて建設機械を輸出して以来、
積極的に海外進出をすすめてきた会社です。
 
売上高の8割は海外売上げ、従業員の約6割は外国人、
建設機械の工場は海外に30拠点、国内に12拠点がある、
日本国籍のグローバル企業です。
 
お話を伺ったのは、「株式会社 小松製作所」
コーポレートコミュニケーション部広報グループ 主幹
渡辺晃利さんです。
 
Q「KOMATSU」という社名の由来を教えて下さい。
 
当社の会社名は、創業の地である石川県小松市に由来しています。
登記上の正式名称は「株式会社小松製作所」ですが、
通常呼称で「コマツ」を使用しています。また、当社は、
竹内明太郎という吉田茂元首相の実兄が創業者です。
1921年に創業したので、現在92歳です。

この発祥の地には、創業以来、自動車などのボディをつくる
大型プレスなどの産業機械を生産する「小松工場」がありましたが、
輸出に便利な金沢港に隣接している金沢工場を新設し、
そちらに移管することになり、現在工場跡地には創業90周年を
記念して「こまつの杜」というコマツグループのグローバルな
人材育成と、地域社会と一緒に子供たちを育む場所として
再生しました。

「こまつの杜」には「930E」という当社の
超大型ダンプトラックの展示や、お子さま向けに当社の機械の
技術を紹介する施設「わくわくコマツ館」などがございます。

展示してある超大型ダンプトラックはタイヤの直径は4メートル、
約300トンの積荷を運べる世界最大級のダンプトラックです。
日本では小松駅前にあるコマツの杜でしか見ることが出来ないので、
お近くにお越しの際にはぜひおこしください。
 
Q 「KOMATSU」は、国産初の「ブルドーザー」を
開発した会社だそうですが、この製品は、
いつごろどんなきっかけで開発されたものですか?
 
当社のブルドーザーG40(小松1型均土機)が、
国産初のブルドーザーです。第二次世界大戦中、
空港基地建設などの目的で、国から生産要請があり、
これに応えるため、すでに開発・製造していた
ガソリン機関トラクターに、土を押すためのブレードを
装着するという改造により、
1943年(昭和18年)に誕生しました。
 
当時ブルドーザーのブレードは、米国製でも
ケーブル式が主流でしたが、コマツは油圧方式を
採用していた点が、非常に画期的でした。
このG40は終戦までに約200台が生産しましたが、
現存するのはたった1台です。
 
この1台は戦中フィリピンで稼働し、終戦後、
米国の接収で海中に投棄されたが、のちに引き揚げられ、
オーストラリアの農場で使用されていたものです。
1979(昭和54)年に発見され、35年ぶりに祖国である
日本に帰還し、2007年には日本機械学会の
「機械遺産」に認定されました。
現在、コマツの建設機械のショールームである
コマツテクノセンタ(静岡県)で展示しています。
 
Q そのほか「KOMATSU」の製品に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
 
当社は、2008年に世界で初めて無人ダンプトラックを市場導入しました。
この無人ダンプトラック運行システムは、現在チリとオーストラリアの
2箇所の大規模鉱山で稼動しており、お客さまの安全性と生産性の
向上に貢献しています。
当社のCMでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

大規模な鉱山は複雑な地形が多く、衝突、転落、落石などの
危険がたくさん潜んでおり、機械を運転するオペレーターの負担が
大きく危険です。無人化することにより人に対する負担やコスト、
燃料、タイヤの消耗などが節約できる、人と地球に優しいシステムです。

このほかにも、最先端のICTを活用した世界初の全自動ブレード制御の
ICTブルドーザーなど、お客さまの現場をお客さまとともに革新し、
新しい価値を創造する「イノベーション」を起こしていきます。
 
Q 「KOMATSU」というと松井秀喜選手を
イメージキャラクターに使った広告が印象的ですが、
どんなきっかけで松井選手を起用することに
なったのですか?また、松井選手の広告関係の
エピソードなどあればお願いします。
 
松井秀喜選手には、メジャーデビューした
2003年から10年間、当社のイメージキャラクターを
つとめて頂きました。
世界を舞台にチャレンジする松井選手の姿が、
グローバルに事業を展開する当社の方向性と一致
したからです。
 
松井選手の出身地、石川県能美市はコマツ発祥の地で
ある小松市に隣接し、松井選手のおじいさん、
おとうさんも二代にわたってコマツに勤務されていたと
いう縁もあり、コマツグループを挙げて応援してきました。
イメージキャラクターに就任頂いている間、
最も印象に残っているのは、2003年4月14日、
対ブルージェイズ戦6回に松井選手が放った
推定140メートルの特大決勝3ランが
ヤンキーススタジアムのアッパーデッキに掲出した
コマツの看板の真上に飛び込んだことです。
 
当時国内外のメディアでも大きく報道され、
大変話題を呼びました。また毎年シーズンオフには
コマツの事業所を訪問して頂きました。
各事業所での従業員との交流も、
夫々の従業員にとって大変よい思い出になっています。
 
Q そのほか、オススメのサービス、キャンペーンなど
PRしたい案件があればお願いします。
 
当社は2008年に世界で初めて建設機械のハイブリッド車を
市場導入しました。自動車のハイブリッド車は
走っている車が減速する時のエネルギーを回生しますが、
油圧ショベルの場合は走行ではなく、作業のために車体を
旋回させて減速する時に発生するエネルギーを
回生しています。回生したエネルギーを
電気エネルギーに変換し、キャパシターと呼ばれる
蓄電器に蓄え、これを発電機モーターを通じて
エンジン加速時の補助エネルギーとして活用するのです。
 
この当社独自の「コマツ・ハイブリッド・システム」により、
通常型「PC200-8」と比較して約25%の燃費低減、
CO2削減を実現しました。
また日本国内での導入台数は2012年12月で累計導入
1000台を達成し、海外でも北米、中国、中南米、
東南アジア、欧州などへ導入しています。
 
また日本国内では、今年10月1日より、オフロード法
2011年基準に適合し、燃費をさらに5%削減した、
ハイブリット油圧ショベル「HB205-2」の販売を
予定しています。当社はこれからも建設機械の
リーディングカンパニーとして、地球環境負荷低減の
ための車を、具体的に提案することにより、
時代の要請に応えていきたいと考えています。

建設機械はなかなか一般の皆さまにはなじみがないものですが、
今回を機会に建設機械、コマツのことを知っていただければと
思います。詳しいことは当社のHPをチェックしてみてください。
よろしくお願いいたします。
 
株式会社 小松製作所 オフィシャルサイト
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

「シンコー株式会社」

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
作務衣などを扱う「bon.」ブランドがヒット中の
「シンコー株式会社」のヒミツに迫ります。
 
お話を伺ったのは、シンコー株式会社
代表取締役 岩瀬茂揮さんです。
 
シンコー株式会社は、
大正7年創業の染料販売店です。
 
「染料」というのは衣類を染める「染め粉」のことです。
事業部は 染料事業部 ・ 接着剤事業部 の2部門です。
染料事業部では広島県福山市近辺の染色加工場に
染料・工業薬品を販売しています。
染料事業部の主力商品はデニム用の黒色染料です。
 
また染料事業部の下部組織のWebユニットでは
Webを利用して全国に染料を販売しています。
Webユニットには一般消費者向けの染色キット
「そめそめキット」というオリジナル商品や
「染め直しサービス」など新しい事業展開も行っています。
 
接着剤事業部は家具、建材メーカーに
接着剤・研磨材を販売しています。
bon.は接着剤事業部の下部組織に当たります。
 
Q 「シンコー」という社名の由来を教えて下さい。
 
「振興」をカタカナにしたものです。
昭和47年に株式会社化するにあたって社名変更しました。
もともとは「岩瀬商店」という名前でした。
 
Q 「シンコー」では、作務衣などを扱う「bon.」ブランドが
ヒット中とのことですが、このブランドは、
いつごろどんなきっかけで開発されたものですか?
 
2009年にご近所のおしゃれな和尚さんに
絡子を染め直してほしいとお願いされたのがきっかけです。
 
※絡子(らくす)・・・
禅宗の和尚さんが身に着ける前掛けのようなもの 
                 
その絡子をド派手なオレンジに染めたところ、
その和尚様と非常に盛り上がり、次にポケット付の
絡子を開発、作成しギフトとして全国のお寺に配りました。
 
そこから和尚さん同士の集まりで、
「変わったものもってるね」というように口コミで
広がっていき結果的に全国の和尚様から、
こんな作業着やバッグが欲しいなど様々なニーズが
耳に入ってくるようになりました。
 
そのため皆様のご期待に添うべく
2012年にブランド化に至りました。
 
Q このブランドの開発のポイントを教えてください。
 
企画・設計の段階から和尚様と職人が参加し、
アイデアを出し合いながらアイテムは制作されています。
 
なので、和尚様発のカジュアル「オショカジ」なのです。
もちろん100%国産です。
 
そして今年の1月を境に一般層、
メディアからの反響が激増しています。
 
それはホームページと商品を
一部リニューアルしたためです。
そのために『コンセプトの見直し』と
『ターゲットをより絞ること』に注力しました。
 
まず、コンセプトは旧ホームページはあまりにも
寺院寄りで一般受けしなかったため、法衣っぽいものは
全て無くし、『オショカジ』と『Wear For Beter Japan 』と
いう言葉を前面に出しました。
 
写真も寺院風な背景はなるべく取り払い、
あくまでカジュアルに統一しました。
 
また、ターゲットについては「『和尚様全般』という
ぼんやりしたターゲットではなく、
『カジュアルっぽいものが好きな和尚様』と
『和尚様が着るカジュアルが好きな一般層』に。
よりニッチにターゲットを絞り直しました。
 
結果、それまでは5000にも満たなかったPV数は、
リニューアルした途端いきなり2万超え!
ビックリしました。
 
Q「bon.」ブランドのネーミングの由来を教えてください。
 
「bon.」は、サンスクリット語の“梵(ぼん)”に由来し、
「円満」「幸あれ」といった意味があります。
 
Q「bon.」ブランドは、僧侶関係者以外にも
人気だそうですがどんな方々が購入されていますか?
 
20~40代の一般男性や陶芸家、図書館の館長といった方々や
またユニフォームとして山梨県の旅館、東京のヘッドスパ、
マッサージの治療院でもお使いいただいています。
 
ボンチョや格子柄頭陀袋は女性からも
ご購入いただいています。
 
Q「bon.」ブランドには、どんな商品がありますか?
人気商品など詳しく教えてください。
 
・ラグラン作務衣(さむえ)
・添水作務衣(そうずさむえ)
・デニム頭陀袋(ずだぶくろ)
・ザツノウ頭陀袋 ―夏― の4点をご紹介します。
 
ラグラン作務衣は「シワ」になりにくい
作務衣が欲しいという
和尚様の声を聞き、逆の発想で最初からしわが
気にならないようにシワ加工した作務衣です。
シルエットはラグランスリーブになっており動きやすく
機能的になっています。上下セットで27,300円(税込)です。
 
添水作務衣は作業中に首がやけない工夫が欲しいという
和尚様の声を聞き、フードを取り付けました。
フード、ヒジ、ヒザの切り替え部分はファスナーで
取り外しができるビックリ仕様です。
bon.商品の中で一番売れている作務衣です。
上下セットで27,300円(税込)です
 
デニム頭陀袋は破けにくい丈夫な頭陀袋が欲しいという
和尚様の声を聞き、開発した地元の素材を結集した
頭陀袋です。
本体には世界的に有名なカイハラデニムを使用し、
側面には畳の縁素材で和テイストを演出しています。
付属の木環、ヒモも地元産です。18,900円(税込)
 
ザツノウ頭陀袋 ―夏― は四季に応じて使える
季節感のある手軽な頭陀袋が欲しいという
和尚様の声をもとに開発しました。
夏バージョンには本体に尾道帆布を使用し、
フタ部分には涼しげなダンガリー生地を使用しています。
今後、秋、冬、春バージョンも素材や
雰囲気を変えて発売予定です。13,650円(税込)
 
Q そのほか「シンコー」の商品に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
 
bon,の商品開発にあたって当初はどこまでが
セーフでどこからがタブーなのかわからず、
おもいきって絡子に「ドクロ柄」、「迷彩柄」、
「ヒョウ柄」を使用したところ和尚様たちに
思いっきりヒカれました。
 
ただこのことによって野球でたとえると
ボールゾーンがはっきりしてストライクゾーンが
なんとなく把握できました。
 
Q そのほか、オススメのサービス、キャンペーンなど
PRしたい案件があればお願いします。
 
オショカジをただの商品の販売で終わらせては
いけないと思っています。
 
商品を通して和尚様と一般の若い人がふれあい
お寺発のワクワクするコンテンツも提供できる
ブランドになることを目指しています。
そのためにも今後、イベント・チャリティーを
毎年行っていきますので
オショカジを温かく見守ってください。
 
また8月1日に「シンコーショールーム」が
完成いたしました。
広島県福山市という地方ですが福山駅にほど
近い場所にありますので
「オショカジ」・「シンコー」にご興味がある方は
是非お立ち寄りください。
営業日(月)~(金)9:00~18:00です。
土日祝日は休業日です。お待ちしております。
 
今日お話を伺ったのは、シンコー株式会社
代表取締役 岩瀬茂揮さんでした。
 
岩瀬さん、ありがとうございました。
 
シンコー株式会社 オフィシャルサイト
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

「株式会社あさひ」

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「株式会社あさひ」のヒミツに迫ります。
 
「株式会社あさひ」は、自転車販売及び
パーツアクセサリー、付帯サービスを提供する
大型自転車専門店です。
 
店舗は北海道から鹿児島まで全国に340店舗展開。
そのほかネット販売、商品供給などを行っています。

96年から自社開発を開始。

今では80種類のアイテム数のPB自転車を開発し、
店舗では常時800台ほど展示しています。

今日お話を伺ったのは、
「株式会社あさひ」 経営企画セクション 鈴木 の 
鈴木 純一さんです。
 
Q 「あさひ」という社名の由来を教えて下さい。
 
創業当時「旭玩具製作所」という社名で
あったことが由来です。
ひらがなにしたのは前会長が親しみやすい社名に
したいとのことからです。
また「あさひ」は太陽が昇るというイメージもあり
会社の成長もそうありたいという想いも
込められております。
ちなみに、「あさひ」を一つにまとめると
偶然にも自転車の形のように見えます。                                  

Q 「サイクルベースあさひ」は、
自転車チェーンとして国内最大だそうですが、
現在何店舗ありますか?
また、最もヒットした商品は何ですか?
その商品は、いつごろどんなきっかけで
開発されたものですか?
累計でどのくらい売れていますか?
 
8月8日現在340店舗です。

プレシジョントレッキング:2011年秋ごろ発売

もともとは、スポーツ系クロスバイクとして”
プレシジョンスポーツ”という商品があり、
軽快に早く走れるスポーツバイクという
位置づけから、より日常で通勤・通学にも
使えるよう、アルミフレームでありながら、
バスケット・泥除けなど装備した日常用途に
対応したクロスバイクとして開発しました。
 
Q この商品の開発のポイントを教えてください。
 
アルミフレームで軽い自転車。
一般車でもなくスポーツ的要素を残した通勤・
通学でも使える自転車であることがポイントです。
日常の用途に応じた(鞄などが入れられる)
バスケット装備、(一般的な自転車感覚で)
泥除け装備、(ズボンのすそなども
巻き込まないような仕様)チェーンケース
標準装備などを考慮し、かつ一般の自転車とも
変わらない価格で企画開発しました。

Q 「サイクルベースあさひ」のCMには、
人気女優の堀北真希さんが出演していますが、
CMに関するエピソードなどあればお願いします。
 
堀北さんは実は自転車好きだそうです。
撮影の際、堀北さんご自身で様々な自転車を
試乗したり、触れたりしながら、
スタッフ含めて楽しく撮影を行いました。

また、10代の頃にヨーロッパ3カ国、200キロを
自転車で旅されたDVDを発売されており、
撮影ではスムーズな乗車姿勢でした。

Q そのほか、オススメのサービス、
キャンペーンなどPRしたい案件があればお願いします。
 
ネット販売において、今年3月から
「ネットで注文・店舗で受取り」サービスを始めました。
これは全国に店舗がある「あさひ」ならではのサービスで、
お好きな時間にネットからご注文いただき、
お近くの店舗で整備・操作説明を受けていただき、
安心してご使用いただけるサービスです。
ぜひご利用ください。

今日お話を伺ったのは、
「株式会社あさひ」 経営企画セクション 鈴木 の 
鈴木 純一さんでした。
 
鈴木さん、ありがとうございました。

「株式会社あさひ」 オフィシャルサイト
http://www.cb-asahi.jp/
 
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

 

「協同乳業株式会社」

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「協同乳業株式会社」のヒミツに迫ります。
 
「協同乳業株式会社」は、
昭和28年創業、今年の12月で60周年を迎えます。
                            
牛乳、乳製品をはじめ、デザート、アイスなどを
販売している総合乳業メーカーです。
 
昔懐かしい当たりくじつきホームランバーや
コンビニで販売している「メイトーのなめらかプリン」
などでおなじみの会社です。                                                          
また、数々の“日本初”のヒット商品やロングセラー商品を
生み出しているのも特徴の一つです。     
昭和30年には、日本初のアイスクリームバーを生産開始。
その5年後には、日本初の当たりくじ付きアイスバーを
発売しました。
 
この商品が「ホームランバー」です。                   
また、昭和30年には「カッテージチーズ」、
31年には「テトラ牛乳」を発売しました。
こちらも日本初の商品となります。                                                          
「お客様の健康で楽しい暮らしに貢献する」、
「お客様に喜んでいただける商品をお届する」ことを
目標に、「チームメイトー」として社員一同、
力を合わせ邁進中です。
明るくアットホームでやる気溢れる会社です。

お話を伺ったのは、協同乳業株式会社
デザート統括室中村博之さんです。
 
Q 「協同乳業」という社名の由来を教えて下さい。
またブランド名「メイトー」の由来もお願いします。
 
昭和28年、酪農業の発展と農村復興のため、
長野県の酪農家と連携して吉田正(創業者)が、
“酪農と乳業の共生”の旗を掲げてスタートしました。
その際、名古屋精糖㈱初代社長横井広太郎と協力し
協同乳業㈱を設立したことから、
ブランド名はメイトーとなりました。              
協同乳業という社名の由来は、農民と生活者のために
地域社会と協力し合う会社でありたいという
思いが込められています。
                                             
社名:農民と生活者のために地域社会と
協力し合う会社でありたい→協同乳業 
 
ブランド名:名古屋製糖→名糖→メイトー                            
 
Q 「協同乳業」の大ヒット商品は、
「ホームランバー」ですが、この商品は、
いつごろどんなきっかけで開発されたものですか?
累計でどのくらい売れていますか?

昭和30年、デンマークからアイスクリームバー
マシーンを国内で初めて導入し、「アイスクリームバー」を
国内で初めて販売を開始しました。
アイスクリームはまだ高級品でアイスキャンディーが
主流だったためか、1本10円の手軽な
「アイスクリームバー」は大ヒット! 
              
しかし、発売後、すぐに他社の追随を受け
苦戦することとなります。                   
なにか良い対策はないか・・・、当時のアイスクリーム
営業課長は悩み、あるアイデアがひらめきます。 
『楽しさを追求した商品にしよう!』                                                           
当時、立教大学で大活躍の長嶋選手を見て、
「(国民的な人気の)野球」と「アイス」を
結びつける事はできないかと考えました。
                                          
そこで、アイススティックには「ホームラン」などの
焼印を入れた「当たりくじ付き」とし、
食べ終わるまで楽しめる「ラッキー感」を演出
することを思いつきました。
それこそが今も続いている「当りくじつきの
ホームランバー」の誕生のルーツです。
                                                             
発売当初は、スティックに「満塁ホームラン」
「ホームラン」「ヒット」の焼印を入れ、
キャンペーンポスターには巨人軍に入団して
大活躍していた長嶋選手を起用しました。                 
発売当時からこれまでの累計販売本数は
当時の資料が見当たらない為、正確な数字が
ご案内できませんが、現在、ホームランシリーズは、
年間で約1億本の販売をさせて頂いております。    
 
<余談>                                                       
○昭和35年、いよいよホームランバーとして発売。
パッケージには、野球帽をかぶった少年    
「ホームラン坊や」を採用。
(現在も活躍中のイラストレーター
和田誠さんデザインによるものです)

○生産工場は24時間フル稼働。
それでも商品供給が間に合わず、
得意先のトラックが工場で商品待ちの行列が
できたほどでした。

Q この商品の開発のポイントを教えてください。

美味しさは勿論、食べ終わるまで
「ワクワク、ドキドキ感」が楽しめる商品に
していることです。

Q 「ホームランバー」には現役当時の
長島茂雄選手が起用されていたそうですが、
詳しく教えてください。
 
ホームランバー開発のきっかけとなった
国民的ヒーローの「長嶋選手」を、発売当時の
店頭告知ポスターに起用したいと猛アプローチしました。
球団と何度も交渉を重ね、発売商品のイメージ  
キャラクターとして了解を取りつけることに成功しました。

Q そのほか「協同乳業」の製品に関するなにか
面白いエピソードなどあればお願いします。
 
過去に勢いだけで作ってしまった
「ツーランホームランバー」という商品があります。                                                          
第2の「新ホームランバー」を目指して、
大ヒットを目指したのですが・・・                                                              
ツーランホームランバーは、通常よりも少し小さい
ホームランバーにチョコレートをコーティングした
バニラとチョコの2本入りでした。1袋に
2本入っているので、「ツーランホームランバー」!!
     
さらに、当時、子供たちに大人気であった
ビックリマンチョコに便乗し、当社社員が考案した
オリジナルキャラクター「アストロリーグ野球戦士」
のシールもベタ付けしました。

2本入り、さらにはシール付きということで
「お子様の人気を独占できること間違い無し!」と
思い発売したのですが・・・販売不振・・・
あっという間に終売となってしまいました。

<蛇足>                                                       
ちなみに、アストロリーグにはストーリーも
ありました。西暦2502年、地球外生物と
交流ができたため、野球に新しいルールが取り入れられ、
新ルールで「アストロリーグ野球戦士」と戦うという、
よく分からないスト―リでした。
 
Qそのほか、オススメのサービス、キャンペーンなど
PRしたい案件があればお願いします。
 
2010年にホームランバー50周年を記念して
発売した「プレミアムホームランバー」は、
現在も引続き、好評頂いております。
                                          
真に、おいしさプレミアム級!
乳脂肪分をたっぷり使った濃厚なバニラアイスを
「シャキシャキ」の練乳シェルで包みました。
夏でも「濃厚な味わい」と後切れの良い「清涼感」が
楽しめるお奨めの1品です。
 
お話を伺ったのは、協同乳業株式会社
デザート統括室の中村博之さんでした。

中村さん、ありがとうございました。

協同乳業株式会社 オフィシャルサイト
http://www.meito.co.jp/
 
スタジオにもホームランバーが用意されました!

写真.JPG

写真-1.JPG

-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

 

株式会社 音楽之友社

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は、「音楽の友」、「レコード芸術」などの
雑誌や楽譜、教科書などでおなじみ、
「株式会社音楽之友社」のヒミツに迫ります。

株式会社 音楽之友社は、昭和16年創立。
音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を
展開しています。
 
編集部では、音楽の友、レコード芸術、ステレオ、
バンドジャーナル、ムジカノーヴァなど
 
出版部では、書籍編集、楽譜・教科書・理論書・
企画開発、教育音楽
 
営業部では取次・楽器卸、教科書教販、受注、宣伝などを
手掛けています。
 
お話を伺ったのは、
株式会社音楽之友社 代表取締役社長 堀内久美雄さんです。

Q 「音楽之友社」という社名の由来を教えて下さい。
 
「音楽之友社」の由来
 
 弊社は「音楽世界」「月刊楽譜」「音楽倶楽部」の
音楽雑誌3誌発行元が合併したことにより誕生しました。
 
下記沿革を参照下さい。社名については、直接の記録は
残されていませんが、3誌とは異なる名前にすること、
より一般的に音楽愛好家に理解しやすい名前を付けると
いうことで、「音楽之友」という誌名が決まり、
社名も決まって行ったかと考えております。
 
音楽之友社の沿革
 
音楽之友社創立に先立つ1916年(大正5年)、
大田黒元雄が「音楽と文学」を創刊、野村光一、菅原明朗、
堀内敬三など、洋楽黎明期の主な執筆者が
この雑誌から登場しました。
同誌は主要執筆者の留学などにより3年ほどで休刊と
なりましたが、上記4人を中心とする執筆者は、
その後も洋楽普及活動の中心人物として
各音楽雑誌で活躍しました。
 
開戦直前の1941年(昭和16年)12月、紙の使用制限を
目的とした政府の第一次音楽雑誌統合令により、
「音楽世界」「月刊楽譜」「音楽倶楽部」の3誌発行元が
合併し、匿名組合音楽之友社が設立され、
新雑誌「音楽之友」創刊号を同年12月1日に発行いたしました。
この日をもって弊社の創立日といたしております。
その後1943年9月第二次統合により、
統合会社日本音楽雑誌株式会社と社名変更し、
雑誌「音楽文化」「音楽知識」を発行することとなりました。
 
1945年8月15日の終戦後は、「音楽知識」10月号を
1945年10月1日に刊行、1946年1月号より「音楽知識」を
「音楽之友」に誌名変更して刊行、また同年12月の
株主総会で社名も株式会社音楽之友社といたしました。
 
1946年12月には「教育音楽」を、1952年3月には、
「レコード芸術」を、1959年10月には「バンドジャーナル」を、
1963年6月には「ステレオ」を創刊し、刊行を続けております。
 
このように弊社は雑誌出版から社業を始めましたが、
1946年の終戦直後から楽譜、書籍を多数出版、
その後音楽教科書の発行も手がけ、1973年からは
ウィーン原典版日本版をユニヴァーサル・エディション社、
ショット社との協力で刊行し、日本の音楽界に「原典」を
重視する考え方を提唱するなど、クラシック音楽の
総合出版社としての途を歩んでまいりました。
 
音楽学習者向き辞典類・理論書・教材の発行も
弊社の重要な使命として出版を続け、高い評価を
いただいております。
 
また本社には220名収容の小ホールが併設されており、
豊かな残響を生かした室内楽・声楽などの演奏会に
ご利用いただいております。
 
2011年に創立70周年を迎えるに先立ち、創業に先立つ
時代からの一貫した理念を、
〈音楽の力を信じ 音楽の心を伝えたい〉という言葉として
集約いたしました。先達の志を受け継ぎつつ、
弊社はこれからも音楽を愛する人々と強い絆を結び、
時代を見据えた出版活動を続けてまいります。
 
Q 「音楽之友社」を代表する出版物といえば、
雑誌「音楽の友」ですが、この雑誌は、いつごろ、
どんなきっかけで作られた雑誌なのでしょうか?
 
上記の沿革の通り、音楽系3雑誌が、紙の節約を目的にした
「音楽雑誌統合令」により統合した結果、生まれたものです。
それ以前は「音楽世界」「月刊楽譜」「音楽倶楽部」が
刊行されていました。
 
Q 「音楽の友」の編集コンセプト、
これまでのヒット特集企画などを教えてください。
 
「音楽の友」のコンセプトについて
 
 音楽を聴く人、愛好する人、学ぶ人のために、
有用な情報を網羅するように作られています。
また、創業以来の理念を表現した
〈音楽の力を信じ 音楽の心を伝えたい〉という
コーポレート・アイデンティティに忠実に作ってゆきたいと
考えています。
 
良い演奏からは、どんな人に対しても暖かいメッセージが
伝わってくるものと信じており、誌面からも
そのメッセージを伝えてゆきたいと考えています。
 
ヒット企画について
 
定期的に購入していただいている方、見ていただいている
方が多いので、大きなヒットということとは
若干異なりますが、毎年12月19日発売の1月号は
カレンダーが付き、他の月よりも売上部数も多くなります。
また、楽譜やメモ帳が入る特注コンサート用バックを
付けた昨年7月も、例年号より売上は上がりました。
また他の雑誌で言えば、スピーカーユニットやアンプを
付録に付けた雑誌「ステレオ」は、売上も非常に多くなり、
売り切れに近い状態になります。
 
Q 「音楽之友社」では、たくさんの楽譜なども
発行されていますが、最も売れた楽譜はどんなものですか?
また特色ある楽譜などあればご紹介ください。
 
楽譜は、非常にたくさんの点数を出しており、
しかも毎年70点ほどの新刊も出しています。
それぞれ大切に作っており、特色も異なるので、
一言で言うのは困難です。ピアノ用で言うと、
標準版New Editionシリーズは、現代のお子さんたちが
学びやすいように、解説を充実させた定番楽譜で、
すべてこの5年ほどの間に版から作り直しました。
「ブルクミュラー 25の練習曲解説付(New Edition)」などが
好評です。累計部数で言えば、1954年刊行の
「子供のためのソルフェージュ1a」、
67年刊行の「新版こどものバイエル」などが、
多くの方に使っていただいております。
 
書籍は、「楽典 理論と実習」という書籍は、
音楽学校などの教科書として使われる定番ですが、
一般書籍のベストセラーと違って、1年でたくさん売ると
いうものではありません。
こちらは、1965年初版で、もともと活版で作られていたので、
長年の間に版がすり切れ、読みにくくなっていたので、
全く形を変えずに、最新の技術できれいに作り直しました。
長年お使い頂くものは、それなりに途中の
メンテナンスが必要です
 
Q そのほか「音楽之友社」の出版物に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
 
創業に関わったグループが作った最初の音楽雑誌
「音楽と文学」から、あと3年の2016年に100年になります。
またその年は3誌合併でできた当社の創立75年の年でもあります。
〈音楽の力を信じ 音楽の心を伝えたい〉という思いを、
多くの皆様と共有しつつ、音楽の素晴らしさを伝え、
また音楽を知る手引きとなる教材や辞書、
楽譜などを丁寧に発行してゆきたいと思います。
                                                               
本日お話を伺ったのは、
株式会社音楽之友社 代表取締役社長 堀内久美雄さんでした。
 
堀内さん、ありがとうございました。
 
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

株式会社ビッグウイング

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
今日は「しろくまのきもち」サマースカーフがヒット中の
「株式会社ビッグウイング」のヒミツに迫ります。
 
株式会社ビッグウイングは、
1995年会社設立、主にナイフを扱うアウトドア商品の
輸入卸として創業。              
その後、アメリカ、ヨーロッパから機能性・デザインに
特化した商品を輸入し、ライトやダッチオーブンをはじめ
幅広くアイテム数を増やしアウトドアの専門店を中心に
提供してきました。 

近年の人気ブランドとしては、イギリスの軍用寝袋の
パイオニアである“スナッグパック”や、
アメリカで創業100年を迎えた真空断熱ステンレス
ボトルの“スタンレー”などがありますが、
これらはアウトドアをしない人たちにも、
機能性とデザイン性が認められ、ファッション関連や
日用品のセレクトショップなどにも市場を広げています。

お話を伺ったのは、株式会社ビッグウイング
CCR事業部 マネージャー田村賢嗣さんです。
 
Q 「ビッグウイング」という社名の由来を教えて下さい。
 
アウトドアを愛する人たちに、より良い
アウトドアライフを楽しんでいただくことを
コンセプトに、アウトドア先進国であるアメリカや、
ヨーロッパから優れた商品を発掘し、日本のユーザーに
お届けしたいと会社をスタートしました。                    
大きな翼で世界に羽ばたき、積極的に良い商品を
見つけてくるという決意のもとビッグウイングと
名付けました。   
 
Q 「ビッグウイング」の大ヒット商品は、
「しろくまのきもち」ですが、この商品は、
いつごろどんなきっかけで開発されたものですか?
累計でどのくらい売れていますか?                                       
実は10年近く前から、地球温暖化対策として
冷却商材はエコという意味でも需要があると考え、
類似商品をアメリカから輸入して一部の
アウトドア専門店で販売しておりました。
しかしながら、品質的に問題が生じ、その改善を
アメリカメーカーに求めましたが、理解、対応をして
貰えず、致し方なく当社で開発するという方向に
なりました。 これが6年ほど前の話です。                         
もし、アメリカメーカーが当社の要望に理解を示し、
協力的であったなら今の「しろくまのきもち」は
誕生していなかったことになります。                                                            
「しろくまのきもち」サマースカーフを発売して
今年で5年目です。昨年までの4年間の店頭実売枚数が
430万枚に達し、本年度計画が120万枚ですから、
5年間で550万枚の実売を目標としております。  
 
Q この商品の開発のポイントを教えてください。
 
開発当初は、まだ家庭内で使用するものが一般的で、
首に巻くには太かったり、重かったりで、見た目にも、
機能面でも使い辛いものがほとんどでした。
そこで、この
「水さえあればどこでも使える吸水ポリマー」を
使って、出来る限り使い易さと着け心地にこだわって
商品開発をすることにしたのです。
                                                          
こだわりは4つ 

①水に浸けるだけで、均等に膨らんで使いやすくしたい。
そんな想いからシート状の高分子吸水ポリマーを独自開発し、
安全性にもこだわり日本の大手メーカーで製造したものを
使用しています。
                                                           
②小さなお子様の首に細長いもの巻くのは心配と考え、
『安心リング』を考案しました。                                                           
結ぶのではなくこのリングで留めていれば、
万が一どこかに引っかかったりしても、リングの割れ目から
スカーフがスルリと外れて首を絞めつける心配がありません。
また、スカーフをリングに通すだけなので、
お子様やご年配の方でも簡単に使用していただけます。

③生地はポリエステルなどの化学繊維ではなく
綿100%を使用。                                                             
吸水性に優れた綿の特徴を生かして蓄えた水分を
ポリマーからスカーフの外へと効果的に
発散させることができるからです。                                                            
④縫い目が肌に直接当たらないようにセンター縫製に。
そして5か所のステッチやポリマー部分の端を
V字縫製することで、首馴染みを追求しました。

Q 「しろくまのきもち」というネーミングの由来は?
 
子供から大人まで、安心・快適にお使い頂けるように、
こだわりを持って商品開発をしてきましたので、
ネーミングに於いても親しみをもって頂けるイメージを
大切に考えたいと思っていました。そんな時、
沢山の候補の中で、きらりと光ったのが
『しろくまのきもち』でした。

想いとしては2つあるのですが、
そのひとつが、商品を首に巻いたときの、
ひんやりとした気持ち良さを、氷の上で快適に寛ぐ
しろくまの姿に重ね、快適さを共感していただきたい点、                                         
もうひとつは、水だけで繰り返し使える
サマースカーフを首に巻いて、無理なくエコ生活を
実践していただき、少しでも地球温暖化に歯止めを
かけたい。一人でも多くの方が、しろくまのきもちに
寄り添って頂ければという想いを込めました。

みなさんもぜひ、
『白くまはどんなきもちでいるのかな?』と想いを
巡らせてみて下さい。
きっとやさしい気持ちになって頂けるのではないでしょうか?

Q 「しろくまのきもち」のホームページでは、
熱中症対策についてのコンテンツがありますが、
簡単に内容をご説明ください。
 
はい、しろくまのきもち勉強会と題して、
医学博士の吉田たかよし先生が熱中症と、    
その対策をわかりやすくアドバイスして下さっています。
                    
先生によると、熱中症は命にかかわる病気ですが、
日常生活の工夫やこころがけで予防できるそうです。 

対策としては

1.暑さを避ける (エアコンと扇風機の併用・
涼しい服装・直射日光を避けるなど)
                                                         
2.こまめな水分補給 (塩分の補給も必要)
                                                         
3.体温調節を司る脳の温度を正常に保つことが重要
(首の血管を冷やす)
            
とおっしゃっています。
                                                          
特に高齢者は自覚が薄れ体温調整も遅れがちになりやすく、
エアコン嫌いや過剰な節電意識から危険な状態に気づかず
過ごしている事も多いそうです。                                                            
子供も体温調節機能が未発達な上、体表面積が大人より
大きく、熱を吸収しやすいそうです。
屋外では地面に近いほど気温が高い為、
幼児の身長では大人より3℃高い状態になるそうです。
ですから、高齢者や子供に対しては、周りの人が
気をつけてあげるようにしましょう。                                                             
と、アドバイスしてくださっています。

Q そのほか「ビッグウイング」の製品に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
(「しろくまのきもち」以外の製品でも結構です。)
                                                            
昨年の秋、医学博士の吉田たかよし先生にお会いする
機会がありました。その時、先生の方から、
『夏にしろくまのきもちを巻くのは医学的にも
理にかなっている。』とお話を頂きました。
                                                    
それまで、私たちは実際しろくまのきもちを使って
『首を冷やすことか有効だと』実感はしていたものの、
身体のメカニズムまでは理解していなかったので、
正直、驚きました。                           
また、一般的に熱が出ると、おでこを冷やすという
イメージがありますが、先生によると、
人間の頭は分厚い頭蓋骨によって守られているので、
おでこを冷やしても気持ちは良いですが、
体温を下げたりといった効果は期待できないそうです。 
また、氷の塊などで冷やすのは、かき氷を食べて
頭が痛くなるのと同じ現象(アイスクリームヘデック)を
おこすので、やさしく継続的に水の力で冷やすのが
良いともおっしゃっていました。

Qそのほか、オススメのサービス、
キャンペーンなどPRしたい案件があればお願いします。

夏休みに先がけ、フリーサイズとキッズサイズを
セットにした『おやこパック』 を6月20日から
限定発売しています。暑さ対策としてはもちろんですが、
親子でエコや節電について考えるきっかけにして
頂ければと思っています。
夏休みの自由研究材料としてもオススメです。             
『おやこパック』はなかよし親子のための特別価格で
提供しています。こちらは、数量限定ですので
是非お早めにご購入いただければと思います。
 
今日は、株式会社ビッグウイング
CCR事業部 マネージャー田村賢嗣さん
お話を伺いました。
 
田村さん、ありがとうございました!

-----

スタジオには「しろくまのきもち」が用意されました♪♪

IMG_2098.JPG

今年の夏の暑さには大活躍しそう★
 
株式会社ビッグウイング オフィシャルサイト
 
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

「サンスター文具株式会社」

企業にまつわる気になる疑問を解決する「会社のヒミツ」。
「象が踏んでも壊れない!アーム筆入」でおなじみ
「サンスター文具株式会社」のヒミツに迫ります。
 
サンスター文具株式会社は、
1940年、学習文具製造を目的として創業。
 
1952年、「株式会社三英社」として会社組織にし、
販売網を拡大。
1959年、現在の「サンスター文具株式会社」に
社名を変更しました。
ステーショナリー、ファンシー、ホビー、
アイデアギフト、年賀用品、幼児知育商品、
ディズニーキャラクター、ブランド商品、
プレミアム・ノベルティ商品の企画・
開発・製造および販売を手掛けています。
 
お話を伺ったのは、サンスター文具株式会社
MD部広報グループ山本雄三さんです。
 
Q 「サンスター文具」という社名の由来を教えて下さい。
 
創業者の小林三造が「戦後の復興日本の子供たちに
素直に覚えてもらえる社名として
太陽と星がぴったり」と判断したため。              
 
Q 「サンスター文具」のヒット商品と言えば、
「象が踏んでも壊れない!」という「アーム筆入」ですが、
この商品は、いつごろどんなきっかけで開発されたものですか?
 
発売は昭和40年です。
昭和30年代後半、世間に広く普及していた筆入れは
セルロイド製やプラスティック製でした。
 
ところがセルロイド製は燃えやすいという欠点が、
プラスティック製は割れることもありました。
 
燃えにくく、床に落としても割れない丈夫な素材を
探しているそんな時、現社長の伊藤幸信さんが
丈夫な素材で出来ている信号機の素材、
ポリカーボネート素材に注目しました。
 
Q 「アーム筆入」の開発のポイントを教えてください。
 
役員会議で「丈夫なのはいいが、丈夫すぎて
買い替え需要がなくなってしまう」という意見が出て
一度は否決されるものの、社長に直談判。
ポリカーボネート製のメリットや新しい筆入れの可能性を
熱心に説明します。
結果、社長のゴーサインが出て開発となりました。
 
Q 「象が踏んでも壊れない!」のCMがとても印象的ですが、
いつごろからオンエアされたいたものですか?
CMに関するエピソードなどあればお願いします。
 
発売2年後の昭和42年から                                                             
広告代理店と会議を重ねた結果、子供たちに想像がつく範囲で
身近にいる動物で一番でかくて重いものとなると
象しかいないため 上野動物園に撮影許可をとりに行きましたが
都立のため民間の会社のCMとしては 許可がおりませんでした。
結局 第一作の撮影は 伊豆のシャボンテン公園にある動物園で
ロケをしました。                                                             
アーム筆入れの名前の由来は、当時 子供たちにも人気があった
テレビ番組のプロレスで豊登など あこがれのヒーローが
上腕の太い鍛えたカラダをアピールしていた頃で
強さのイメージとしては 商品名にぴったりと判断したため。                        
 
Q そのほか「サンスター文具」の商品に関する
なにか面白いエピソードなどあればお願いします。
 
大阪の私立追手門小学校では 発売当時から
現在もこの筆入れが学校指定の筆入れとして
売店で売られています。
学園長さまが ものを大事にする心を子供たちに
意識させるためにぴったりと判断されているためです。                                                            
他の商品では 「スパイ手帳」
「スマイルマークのラブピース」の大ヒットがありますが
いずれも 私が入社前で 自分も買った記憶が
あるほどのヒットでした。
ラブピースの大ヒットにより
現在の本社ビルが建ったという話も・・・・。
 
今日は、サンスター文具株式会社
MD部広報グループの山本雄三さんにお話を伺いました。
 
山本さんありがとうございました。
 
サンスター文具株式会社 オフィシャルサイト
 
-----
本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 

<前へ 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16