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ヒューマン・ラボ

「特定外来生物」 皆本晶恵さん

あらゆるジャンルの“注目の人”にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
熊本市環境局緑保全課の皆本晶恵さんをお迎えして、
現在問題になっている「特定外来生物」について伺いました。

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Q①ご出演の方のお名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:皆本晶恵
所属:熊本市環境局 緑保全課
 
プロフィール:造園技師としてH24年4月熊本市役所に入庁。
緑保全課に配属。
生物多様性関連の仕事は2年目でまだまだ勉強中です。
 
ホームページ、ブログなど:特定外来生物について(熊本市HP)
http://www.city.kumamoto.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=2518&class_set_id=2&class_id=213
 
Q②ご出演の方の所属部署についての基本情報を教えて下さい。

名称 : 熊本市環境局 緑保全課
所在地 : 熊本市役所 7階
TEL : 096-328-2352
FAX : 096-359-9945
Email : midorihozen@city.kumamoto.lg.jp
 
Q③現在「特定外来生物」というものが、
問題になっているそうですが、どんな生物のことなんでしょうか?
 
特定外来生物というのは「外来生物法」という法律によって
指定されている生き物のことです。外来生物とは、
一般に、国内由来のものと、国外由来のものと2種類ありますが、
外来生物法では国外由来の外来生物に関して、
とくに生態系への影響や人の生命・身体への影響、
農林水産業へ影響を及ぼすものや、及ぼすおそれのあるものが
特定外来生物として指定されています。
現在、アライグマやオオクチバスなど107種類が指定されており、
その動物の飼養や栽培、保管、運搬、輸入などの取り扱いに
規制がかけられています。
 
Q④「特定外来生物」の問題点は何ですか?
具体的な悪影響などあればご説明ください。

特定外来生物が引き起こす恐れのある影響は、
大きくわけて3つあります。

1つ目は、もともと日本に居る生き物を食べたり、
餌を横取りしたりして、生態系のバランスを
崩してしまう恐れがあることなど、生態系への影響。

2つ目は、毒をもっていたり、人に噛み付いたりと、
人間の日常生活を脅かすことなど、人の生命・身体への影響。

3つ目は、畑の作物を食べてしまったり、
養殖されている魚などを食べてしまったりと、
農林水産業に対しての影響があります。

身近な例をあげますと、江津湖のオオクチバス、
いわゆるブラックバスなどの話は、耳にした事がある方も
多いかもしれません。このオオクチバスという魚は、
魚食性が強く、生態系への影響という面から、
特定外来生物に指定されています。
江津湖には貴重な魚がたくさん生息していますので、
このオオクチバスなど外来の魚による
江津湖の生態系への悪影響というものが懸念されています。

●オオクチバス (写真提供:環境省)

オオクチバス.jpg
 
Q⑤現在、熊本ではどんな種類の生物が発見されていますか?
 
現在熊本では、特定外来生物107種のうち、
アライグマやカミツキガメなどの動物が12種類、
オオキンケイギクなどの植物が10種類、
合計で22種類の特定外来生物が発見、確認されています。
熊本市のホームページにも、写真も合わせて
掲載しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。
熊本市のホームページから「特定外来生物」で
検索していただきますと、記事がヒットします。

●アライグマ (写真提供:環境省)

アライグマ.jpg
 
Q⑥どうして「特定外来生物」が最近増加傾向にあるのでしょうか?

明治以降、人間の移動や物流が活発になり、
多くの動物や植物が、ペットや展示用、食用、
研究などの目的で輸入されています。
輸入の際に、荷物や乗り物などに紛れ込んだりして
日本に入ってきてしまったものが、日本で増えてしまったり、
また、ペットとして飼育されていた動物や、
観賞用に育てられていた植物などが、逃げたり、
捨てられたりして、野外に放たれてしまい、
その場所で増えてしまったものなどがあります。
 
ペットが飼えなくなって、「かわいそうだから」と野外に放つことは、
その生き物にとっても、また、元々その地域に住んでいる
生き物にとっても、とても迷惑なことです。
野外に放した生き物は、もしかしたらとても繁殖力が強く、
もともとその地域に居る生き物のすむ場所を
奪ってしまうかもしれません。
生き物を飼う際には、どれぐらい大きくなるか、
性格はどんな性格か、どれぐらい長生きするのかなど、
きちんと調べた上、最後まで責任を持って大切に飼いましょう。
 
Q⑦私たちが「特定外来生物」を発見した場合は、
どんな対応をすればいいでしょうか?

特定外来生物は、生きたままの持ち運びが
法律で禁止されています。

植物の場合は、根っこから引き抜いて、
その場で枯らしたりや、袋に入れて腐らせたりしてから、
ゴミとして処分してください。
 
動物の場合は、カミツキガメなど攻撃性のある生き物や、
アライグマなど病原菌を持っている恐れのある生き物もおりますので、
不用意に捕まえたりせずに、その場所の管理者や、
環境省や熊本県自然保護課、熊本市内であれば緑保全課などに
ご相談いただければと存じます。
 
Q⑧その他に注意すべきポイントなどありましたら教えてください。
 
外来生物すべてが悪者なのかというと、そうではなく、
外来生物も人間の活動により連れてこられた
謂わば被害者でもあります。
命を持った生き物を邪魔者扱いしていいのか、
という意見もありますが、その地域ごとの生態系が
もしも壊れてしまったら、それを元に戻すというのは
とても難しいことなのです。

そうなる前に、外来生物を持ち込んでしまった人間が、
責任を持って、今ある生態系を守らないといけないと思います。
外来生物による被害を予防するため
「入れない、捨てない、広げない」という三原則があります。
悪影響を及ぼすかもしれない外来生物を
むやみに日本に入れない、
飼っている外来生物を野外に捨てない、
すでにいる外来生物を他の地域に広げない、
こちらの三原則を守り、適切な対応と
ご理解、ご協力をお願いします。
 
Q⑨これまでの活動の中で、
最も印象深いエピソードをお願いします。

メダカに良く似た魚の「カダヤシ」を学校などで
飼育してしまっているという連絡が寄せられた事があります。
用水路などで子供たちが捕まえて、飼育を始めたところ、
よく見たら「メダカ」ではなく「カダヤシ」であったという話です。
特定外来生物を捕まえて、飼育することはもちろん、
許可なく生きたまま移動させる事じたいが
法律違反となってしまいますので、
保護者の方は特に注意していただきたいと思います。
 
Q⑩熊本県民にPRしたいことなどあれば教えてください。

熊本は皆さんご存知のとおり、
森や川、湖などとても自然が豊かです。
特に、熊本市には、江津湖、立田山、金峰山などがあります。
そのような豊かな自然に、たくさんの生き物が住んでいます。
その豊かな自然、魅力的な熊本の生態系・生物の多様性を、
末永く次の世代まで残していけるように、
外来生物による被害を予防し、私たちにできる取組を考え、
ぜひ実践していただきたいと思います。

今日は熊本市環境局緑保全課の皆本晶恵さんをお迎えして、
現在問題になっている「特定外来生物」について伺いました。
皆本さん、ありがとうございました。

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「JUNK ART STUDIO ZUUN」 藤本高廣さん

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
ヒューマンラボ。
今日は先週2月18日、
大津町に「JUNK ART STUDIO ZUUN」 をオープンしました、
アーティストZUBEさんこと、
藤本高廣さんにお越しいただきました。

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Q1、「JUNK ART STUDIO ZUUN」 の
場所・連絡先を教えて下さい
 
住所:熊本県菊池郡大津町杉水1350
TEL:096-293-9866
MAIL:asahiironworks@live.jp
 
Q2、ZUBEさんの作品は、
どんなスタイルの物なのか紹介して下さい。

 
使わなくなった物、捨てられる物です。
 
Q3、前回出演して頂いた時は
「アサヒ鉄工」でアーティスト活動を行っている、
ZUBEさんという形でした。
今回はその「アサヒ鉄工」を閉めて、
「JUNK ART STUDIO ZUUN」 を新たにオープンしたわけですが、
そのキッカケやその決意に至った理由を教えてください。
 
アサヒ鉃工として30年目の昨年、
現代美術館での個展、55歳、母の他界
不景気、軌跡の5年間、
 
Q4、今回のスタジオオープンに関して
まわりの皆さんはなんと言っていますか?


ほとんどの人からやめたがいいと言われてしまいました。
 
Q5、オープニングイベントが行われましたね?
ブログ拝見しましたが、楽しそうでした!
どんなオープンだったのでしょうか?
 
30年間お世話になった山野社長、
縁合って坂口恭平さん、歌手の坂本スミ子さん
みんな僕を知っている人達、笑いあり涙あり、
決意表明ありです。
 
Q6、改めて、「鉄」「廃材・ジャンク品」の魅力はどこでしょうか?
 
捨てられるもの無くなっていくもの、カタチを残す、命をながらえる
 
Q7、ZUBEさんの作品はどこで見られますか?
 
大津のギャラリー展覧会で見られます。
事前の予約をお願いします。
 
 
Q8、これからの活動計画、
やってみたい事など有りましたらお願いします。
 
廃材を使い創る事です。
 
今日は先週2月18日、
大津町に「JUNK ART STUDIO ZUUN」 をオープンしました、
アーティストZUBEさんこと、藤本高廣さんに
お越しいただきました。
ご出演、ありがとうございました。

「JUNK ART STUDIO ZUUN」 オフィシャルBlog 
http://zube1624.exblog.jp/


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「きっかけバス47」

あらゆるジャンルの“注目の人”にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
今日は東北復興支援プロジェクト「きっかけバス47」
活動に取り組む熊本学園大学3年生の出口諒さん
2年生の宮崎泰樹さんがゲストでした。

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Q①ご出演の方のお名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:出口諒(ふりがな)でぐちりょう
所属:熊本学園大学経済学部国際経済学科3年生
 
プロフィール:
私は現在就活真っ只中の3年生です。
昨年の7月にキャリア支援団体Colorsという学生団体を
友達と立ち上げ、現在熊本学園大学の40人の就活生と共に
「社会に出て、自分の色を発揮できる人間になる」という
目標の元、活動をしています。団体を通して、
学外の多くの人と触れあう機会ができました。
今回の「きっかけバス」もその一つで、
今は沢山のことにチャレンジさせてもらっています。
現在は就活を少し休んで、
今回のプロジェクトに全力を注いでいます。
よろしくお願いします。
 
名前:宮崎泰樹(ふりがな)みやざきたいき
所属:熊本学園大学商学部商学科2年
 
プロフィール:
1993年熊本市生まれ。3.11を契機に社会、
政治に関心も持つようになり独学。
2012年衆院選の若年投票率が37%という結果を受け
「若者の政治離れ」を危惧し若年投票率の向上と
熊本の活性化を目的に「わさもん政治学会」を設立。
若年投票率の向上のために2013年参院選では
熊本選挙区立候補者にインタビューを敢行。
また定期的に若者が熊本市の活性化のために政策立案を行い、
市議や有識者と意見交換等を行っている。
現在は税理士をめざし勉強しながら、
きっかけバスの目的に賛同し活動に参加している。
 
ホームページ、ブログなど:
 
Q②「きっかけバス47」の基本情報を教えて下さい。
 
公益社団法人助けあいジャパンという
東北復興支援を行っている団体の
一つのプロジェクトとして「きっかけバス」があります。
 
助けあいジャパン本部:東京本部事務局
〒106-0045東京都港区麻布十番1-10-10
ジュールA8Fdreamdesign内

助けあいジャパンHP:http://tasukeaijapan.jp/
きっかけバスHP:http://kikkakebus.tasukeaijapan.jp/
 
Q③「きっかけバス47」とは、
具体的にどんな活動なのですか?
 
震災から約3年、風化・風評被害に苦しむ東北に
再び目を向けてもらうべく、学生が主体となって動いている
東北復興支援プロジェクトです。
各都道府県から40人、全国で約2000人の学生が東北に行き、
東北では、防災の知識を学ぶ、実際の東北を見るという
目的があります。
東北から帰ってきてからは、東北で得た防災の知識、
実際の東北についての話を、多くの人に伝えていき、
それを連鎖させていく、そして、日本中がもう一度
東北に目を向けてもらうために活動しています。
 
Q④あなた方が、「きっかけバス47」の活動に
とりくむきっかけなどありましたら、詳しく教えてください。
 
ずっとメディアの情報でしか東北のことを知ることは
できなかった私は、震災後、ただ東北への募金をして
自己満足で終わっていました。
募金もいつの日かしなくなりました。
一昨年、仲のいい後輩から東北に行っている人の
東北のリアルな話を聞き、行きたいという想いが生れました。
そして、昨年の8月にFBでたまたまきっかけバスの投稿を
シェアした記事を見つけて、ぜひ参加したいと思い、
リーダー研修で東北に行ったのがきっかけです。(出口)
 
友人(同じく税理士を目指している)がきっかけバスの
副リーダーをしていて誘われたのがきっかけバスとの
出会いでした。最初は「私なんかでもいいのかな」と
最初は思いましたが、日に日に東北への思いがつのり、
参加するという決断に至りました。
東北、特に福島は個人的に強く思い入れがあります。
原発事故を契機に考え方や人生観が変わったという方も
たくさんいることでしょう。
また原発に対して是非があるのも周知の通りです。
メディアが報道してることが真実か見てきます。
人々の生活の実態はどうなのか聞いてきます。
被災地は今も被災地なのか感じてきます。(宮崎)
 
Q⑤東北復興のため、熊本県のチームはどんなことに
取り組む予定ですか?具体的に教えてください。
 
とにかく今回のプロジェクトを半永久的に続けて
いきたいと考えており、そのために東北から帰ってきてから、
より多くの人に東北で実際に体験した事について伝えていく
活動が必要になります。例えば、メンバーの母校での
講和活動、街頭での東北体験記etc…を
今のところ考えております。
また、周知活動として、募金活動なども取り組んで
いきたいと考えています。
 
Q⑥今回のプロジェクトのため寄付を
募っているそうですが、詳しく教えてください。
 
寄付金は、私たちの活動資金、ツアー資金にあてられます。
ただこの話だけすると「学生のツアー代を学生達の代わりに
大人達から出してもらおうとしているだけではないか??」
と思われるかもしれませんが、
実際私たちが今の東北に行くということは、
次に日本を引っ張っていく若い力が東北に行くということです。
未来に投資するというイメージを持ってもらえたらとおもいます。
今回のプロジェクトはただ、
学生が主体で動いているだけであって、
もっと多くの日本の人達を巻き込んでいきたいです。
なので、大人の方からは、寄付という形、
後援という形で応援、支援をしてもらいたいと思っています。
 
Q⑦これまでの活動の中で、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
活動自体あまりしていないのですが、
募金活動はするたびに印象に残ります。なぜなら、
子どもからお年寄り、少し怖いお兄さんたちも全ての
年齢層の人から募金、支援をしてもらえます。そして、
一言「頑張ってね。応援してるよ。」と言ってもらえます。
募金活動をしていて、人の温かさを感じることができるので、
毎回募金活動は印象深いものになりますね。
 
Q⑧これからの課題は何ですか?
 
ツアーから帰ってきてからの活動内容ですね。
ただ、今の段階では漠然と、多くの人に伝えていくという
想いだけがありますが、実際、社会とあまり関わりのない
私たち学生が大人だったり、多くの人に伝える手段がないです。
なので、どうやって大人のコミュニティーに入り込めるか、
伝える手段をどうするかが課題となっています。
 
Q⑨熊本県民にPRしたいことなどあれば教えてください。
 
今回のプロジェクトは本当に日本全体を動かせるプロジェクトです。
最初は本部の2人の東北へ行きたい想いから始まり、
そこから想いに集まった47都道府県のリーダーが増え、
そのリーダーから各都道府県40人ずつ、
約2000人のメンバーに想いが広がっていっていきました。
2人の東北への想いがいつしか2000人の東北への想いになり、
それが形として、動き出しています。次はこの2000人が
もっと多くの人に東北への想いを広げていきます。
このプロジェクトを成功させるためには、多くの人の力が必要です。
是非共感していただけた方、学生を応援してくださる方は
ご支援、ご協力をお願います。
 
今日は東北復興支援プロジェクト「きっかけバス47」の
活動に取り組む熊本学園大学3年生の出口諒さんと
2年生の宮崎泰樹さんがゲストでした。
ありがとうございました。
 
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Kenjiro-T-maker 豊田健次郎さん

あらゆるジャンルの“注目の人”にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
今日はフライフィッシング専用の竹竿を制作している
バンブーロッドビルダー、「Kenjiro-T-maker」の
豊田健次郎さんがゲストでした。

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Q①ご出演者のお名前と
番組でご紹介する際の所属・肩書等を教えて下さい。
 
お名前:豊田健次郎(トヨダケンジロウ)
所属・肩書:Kenjiro-T-maker(ケンジロウティーメーカー)
バンブーロッドビルダー
 
 
Q②プロフィールを教えて下さい。
 
1967年福岡県生まれ。
2000年に福岡市から高森町に移住し、
竹竿の製作を始めました。
(福岡市では音楽活動(ブルース)をしていたが、
夢を追って高森町へ。妻談。笑)
 
 
Q③豊田さんが制作している竿はどんな竿ですか?
素材や特徴、用途など教えて下さい。
 
私が作っているのはフライフィッシング専用の竹竿です。
竹という自然素材を用いることで
独特の釣り味が味わえます。
魚の躍動感をじかに感じることができ、
キャスティング(川に向かって釣竿を振ること)
するだけで楽しむことができます。
 
Q④高森町でバンブーロッド制作を
始めたきっかけを教えて下さい。
 
すぐに魚釣りに行ける環境で
竹竿作りをすることが夢でした。
出来上がったばかりの竹竿ですぐに試し釣りが
できるのはとても良いことだと思います。
福岡市にいた頃は、毎週のように阿蘇白川に
釣りに来ていたので、夢を叶えるのに
絶好の場所だと思っていました。
 
 
Q⑤バンブーロッドの制作には
どれくらいの時間がかかるのでしょうか?
また、制作の過程で難しい所や
面白いところはどんな点でしょうか?
 
1本の竹竿にかかりきりで、1か月はかかります。
1本1本全てオーダーメイドですので、
注文をいただく時に普段行く川や、魚、
釣りのスタイル、手の大きさ、リールの種類などを
お聞きし、全てハンドメイドで仕上げます。
難しいところであり、面白いところです。
 
 
Q⑥釣りを始めたきっかけや
豊田さんが思う釣りの魅力を教えて下さい。
 
小さい頃から釣りが大好きで、
いつかはフライフィッシングとは思っていました。
リバーランズスルーイットという映画を見て
一層始めたいと思いました。
フライフィッシングの魅力は、
心臓が口から飛び出るくらいのドキドキする感覚や、
大きい魚を釣った時のヤッター!という高揚感、
失敗した時のガクーっとくる喪失感、
大きい魚の存在を感じながら、
震える手で糸を結ぶ感じとか、
一緒に釣りをしてる友人がいい魚を釣った時の
チッって舌打ちする感じとか、
そういったものを一日で味わうことができることです。
 
 
Q⑦これまで印象に残っている場所や釣果を教えて下さい。
 
フライを始めて間もない頃の阿蘇白川での釣りです。
今まで見たこともない様な大きい魚がライズ
(水面に浮かぶ水生昆虫を食べにくる様子。
その水面の動きを見て、釣り人は魚の大きさなどを
判断して、その魚を狙い打ちにする。
あてもなく釣り糸を垂らす海釣りとの
大きな違いとも言える)するのに、全く釣ることが
できませんでした。夜になってもどうしても
その場を離れられずに、車中泊し、
翌朝職場に電話しました。「お腹が痛い」と。
そして、一日中釣りをしました。
 
 
Q⑧今後の釣行の予定、希望があれば教えて下さい。
 
3月いっぱいは白川や小国の湧水の川に行きます。
4月になれば五ケ瀬川や川辺川に行きます。
3人の子供がいるので、外国には
しばらく行けそうにありません。
 
 
Q⑨豊田さんのバンブーロッドをオーダー、
購入したいという方は試しに使ってみることは
できるのでしょうか?
 
できます。
デモロッドを数種類用意してありますので、
試し振りすることが可能です。
 
 
Q⑩お問い合わせ先を教えて下さい。
 
住所:阿蘇郡高森町色見1133
電話:090-5297-2769まで。
 
Kenjiro-T-maker オフィシャルサイト
 
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「第二ぎんなん作業所」施設長 木村武さん

あらゆるジャンルの“注目の人”にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
今日は熊本市中央区にあります「第二ぎんなん作業所」
施設長木村武さんがゲストでした。

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こちらで作られている「肥後の竹 カレースプーン」が
「oto GP 2013」グランプリを受賞しています。
作業所の活動について詳しく伺いました。
 
Q①ご出演の方のお名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:木村武
所属:第二ぎんなん作業所施設長
プロフィール:
s.43.3熊大教育学部卒業
s.43.4~熊大教育学部附属養護学校勤務(37年)
h.17.3定年退職
h.17.4~第二ぎんなん作業所勤務(9年)
 
ホームページ、ブログなど:
 
Q②「第二ぎんなん作業所」の基本情報を教えて下さい。
 
・名称:社会福祉法人熊本市手をつなぐ育成会
 第二ぎんなん作業所(就労継続支援B型事業)
・住所:熊本市中央区新屋敷3丁目9-7
・TEL/FAX:096-371-9381
 
Q③「第二ぎんなん作業所」とは、
具体的にどんな目的で活動をしている組織ですか?
現在、所属している人数は?
 
第二ぎんなん作業所は、就職できずに在宅している
子ども達の日中活動の場として熊本市手をつなぐ育成会
(知的障がいのある子どもを持つ親の団体)で
立ち上げられた作業所です。

竹割り.JPG

竹切り.JPG

皮削り.JPG

磨き.JPG

粗作り.JPG
 
「第一の作業所は?」とよく尋ねられる事がありますが、
最初は「ぎんなん作業所」として昭和52年に開設されました。
当時は、親子一緒に活動する場として親の手で運営され、
多くの人が通所していましたが、一方で、公的な
通所施設の設置の要望も高まり、念願かなってできたのが
熊本市の「はなぞの学苑」です。
 
作業所に通所していた23名は、全員そちらに移り、
役目を終えた作業所は、昭和57年、
4年半の歩みを閉じる事になりました。
 
でも、重い障害のある子どもの卒業後の問題が
無くなったわけではなく、再度、作業所づくりを
めざして作られたのが今の作業所です。
2番目の作業所なので第二ぎんなん作業所となっています。
 
昭和59年からスタートし、
今年の12月には30年の節目を迎えます。
今、作業所は「就労継続支援B型事業」として
定員「20名」の指定を受けていますが、
現在、知的障がいのある方20名が通所し、
みんなの「働く場・生き甲斐づくりの場」
として活動を続けています。
仕事の内容は、木竹工作業の他、
新聞やアルミ缶を回収するリサイクル作業、農園芸、
家庭へ出掛けて草取りや剪定などのお手伝いをする
受託作業、熊本市から委託された文書集配業務など
5つの作業に取り組んでいます。
また、地域への貢献活動として週に一度(金)、
町内清掃も行っています。
 
職員は、私を含めて常勤が4名。
それに生活支援や熊本市文書集配ドライバーの方など
の非常勤が6名(常勤換算2.8名)いますので
全部で10名体制で運営している事になります。
 
Q④昨年、「第二ぎんなん作業所」が作る
カレースプーンが受賞をしたそうですが、どんな賞なののか?
どんな点が評価されたのか?詳しく教えてください。
 
はい、9月に行われた
「熊本市障がい者施設商品コンクール」で思いがけず
グランプリをいただく事ができました。
これは、「障がい者施設商品の品質向上や工賃アップ」
を図ることを目的に熊本市で初めて行われたもので、
「食品」「手工芸品」「アート」の3部門に、
24施設から59点の応募があり、品質やデザイン、
市場性、独自性などで各部門の「最優秀賞」が選ばれ、
その中から「グランプリ」が決められるというものでした。

カレースプーン製品.JPG
 
今回、作業所からは「竹べらセット」「カレースプーン」
「バターナイフ&ジャムスプーン」の3点を出品しましたが、
その中のカレースプーンが手工芸品部門の最優秀賞、
それにグランプリまでいただいきました。
「手づくりの感じが温かく、値段も安く、
製品としての需要も高い」という選考理由のようでしたが
思いがけない発表に、みんなで本当に大喜びしました。

●竹べらセット

調理用竹べら.JPG

●カレースプーン

カレースプーン.JPG

●ジャムスプーンとバターナイフ

ジャムスプーンとバターナイフ.JPG
 
Q⑤今回のカレースプーンが完成するまでの
エピソードなどありましたら、お願いします。
 
竹製品を作り始めて9年になりますが、
当初、作業所に備わってる道具や設備を使って
何を作ったものかと思案していた頃、
家内がこんなのはどうかと提案してくれました。
 
それは、竹細工を趣味にしている方からもらった
手づくりの竹べらで、早速それを参考にして
作ることにしました。
 
でき上がった製品を地域に売りに行くと直ぐに
20セット程売れ、100円玉を沢山手にした
仲間が喜んで作業所に帰ってきた事がありましたが、
「作った物が売れる」ということを利用者と共に
味わったその出来事は、作り始めた当時の
忘れられない思い出の一つです。
 
その後、育成会の50周年の記念品として
沢山の注文があったりして、売り上げはどんどん
アップしていきましたが、なにせ、調理用竹べらは、
一度買ったら5年、10年と長く使える品物でしょう。
 
売れ行きの先細りの心配もあり、新たな製品作りに
アタックしなければならなくなりました。
物事には、タイミングというものがあるようで、
次に、箸作りに取り組み始めたばかりの頃、
ある料理店の店長が作業の様子を見に来られ、
店で使うことを条件にあれこれ作り方に
注文を付けられました。
 
この「注文」こそが作業所の箸の作り方の原点に
なっています。手触りがよく使い易いという評判です。
孟宗竹の下部の肉厚の所は竹べらやしゃもじに。
中間の所はお箸に。
先端の厚みの少ない所の使い道は?と考えていた頃、
親切な方が「こんなのがあったよ」とお土産に
バターナイフを持ってきてくださいました。
それでバターナイフも作り始めました。
居酒屋の女将さんから、おでんにからしを塗るための
小さなスプーンの注文があり、それを機に
スプーンセットを作り、そして、カレースプーンと
種類はだんだん多くなってきました。
 
製品開発のポイントは、「縁とニーズと素材と技量」の
組み合わせであることを再認識している昨今です。
 
Q⑥このカレースプーンは、現在は購入できないのですか?
今後販売の予定などありますか?
 
もちろん、販売はしています。
グランプリ受賞に伴った東急ハンズでの3ヶ月
限定販売が終了しただけで、現在、カレースプーンは、
熊本市の現代美術館のミュージアムショップに
置かせてもらっています。現代美術館の売れ行きは、
当初納品した20個の在庫が残り少なくなり、
先日また追加納品しました。
 
また、今回の受賞はPR効果が高く、暮れには、
カレースプーン200個の大口注文の問い合わせが
ありました。
 
でも、1ヶ月に200個など到底できるものでもなく、
お断りせざるを得ませんでした。
 
Q⑦このカレースプーン以外も、
いろんな商品を作っていらっしゃるようですね。
ほかの商品などを紹介してください。
 
それでは、紹介します。
箸です。

箸.JPG

箸は「菜箸、取り箸、なじみ箸、子ども箸、細づくり」
などあります。

いろんな箸セット.JPG
 
それに「しゃもじ、味噌ベラ、釜ベラ、ジャムスプーン」
などの生活用品から、ニャンコの手、竹トンボ、
ブンブンごま等のおもちゃまでも作っています。

●しゃもじ

しゃもじ.JPG

●味噌ベラ

みそべら.JPG
 
●スプーン

スプーン.JPG
 
●トング

トング.JPG

●茶さじ

茶さじ.JPG

●孫の手

孫の手.JPG

●ぶんぶんゴマ

ぶんぶんゴマ.JPG

●竹トンボ

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自慢するのも何ですが、この竹トンボはよく飛びます。
数年前から大江小学校のえのき祭りに出展案内を
頂いていますので、小学生相手でもあり、
1個100円と安くしています。
 
この中で、先ほどの現代美術館で販売しているのは
「カレースプーンとスプーン」だけです。
 
もう一ヶ所、熊本県物産館にも置いています。
そこは、10月から3ヶ月の期間限定販売でしたが、
売れ行き好調という状況から、
1月から再度の販売延長になっています。
陳列スペースの都合で沢山は置けない為、現在
「調理用竹べらセット、なじみ箸、バターナイフ、
ジャムスプーンセット、トング」の5商品を
置かしてもらっています。カレースプーンは、
こちらとの委託販売交渉がコンクールの前だった事もあり、
残念ながら、そこには今のところ置いてありません。
その他には、県庁の中にある県育成会で経営する
「喫茶りんどう」にも一部置かしてもらっています。
また、新屋敷の作業所には、全ての製品を揃えています。
でも、この頃、商品の注文や売れ行きが多くなり、
生産が間に合わない状況です。
注文があれば、直ぐにという訳にはいきませんが、
優先的に対応し、精一杯頑張って作りますので、
お問い合わせいただければ幸いです。
 
Q⑧これまでの「第二ぎんなん作業所」活動の中で、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
第二ぎんなん作業所の30年の歩みの中で、
私が関わったのは9年です。
教育という場から福祉という場に移り、
何もかもが新しい経験の中で試行錯誤しながら
歩んできましたので、どれもこれも印象深いもので
比べようもありませんが、今回のグランプリ受賞は、
私の冥土の土産になるといってもいい出来事でした。
木竹工作業チーフとしては大満足しています。
 
Q⑨活動を通じての苦労、やりがい、
これからの夢などあれば教えてください。
 
苦労というほどのものではありませんが、
製品作りを行う上で作業所ならではの
大切なポイントがあります。それは、仲間のみんなが、
それぞれの持てる力を発揮し、製作に参加できる
工程分析を行う事です。
 
同じ長さに切る、一定の幅に割る、表皮を削る、
ナタで形の粗作をする、仕上げの磨きをする」等の
適材適所を決め、各々に必要な補助具を開発し、
仕事の喜びが味わえるようにする事が必要不可欠です。
 
もちろん、私もその行程の一部を担います。
共に製作する協同体制を整え、
みんなが笑顔で頑張る姿を実現すること、
それが支援者の役割と思っています。
これからも、楽しい、
笑顔一杯の作業所にしていきたいですね。
 
Q⑩熊本県民に
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
そんな大げさなことはありません。
 
第二ぎんなん作業所は、長いこと市から土地・建物を
無償で貸していただき、これまで熊本パイロットクラブや
ソロプチミスト熊本すみれの皆さまはじめ、
資源物回収の協力者やボランティア、
地域住民の方など多くの方々の協力をいただきながら
活動を続けてくることがてきました。
 
第二ぎんなん作業所の老朽化の問題もありますが、
今後も、この新屋敷の地で、地域とのつながりを
大切にした利用者の為の作業所が永く継続されて
いくことを願って終わりにしたいと思います。
 
今日は熊本市中央区にあります「第二ぎんなん作業所」
施設長の木村武さんがゲストでした。
木村さん、ありがとうございました。

●カレースプーンで実際にカレーの試食もしてみました。

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熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 大坪志子先生

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory  ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」。
 
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
 
第13回の講師は考古学が専門、
熊本大学埋蔵文化財調査センター大坪志子助教です。

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Q①お名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:大坪志子(おおつぼゆきこ)
所属:埋蔵文化財調査センター
 
プロフィール
1971年福岡県直方市生まれ

1991年4月熊本大学文学部史学科
(現歴史学科)入学考古学コース専攻1994年度卒

1995年4月熊本大学文学研究科修士課程進学
1996年度修了

1997年4月熊本大学経理部主計課管財係
埋蔵文化財調査室事務補佐員着任

1998年8月熊本大学文学部(埋蔵文化財調査室付け)助手着任

2010年11月熊本大学埋蔵文化財センター助教(現職)
 
Q②大坪先生の専門である「考古学」とは、
どんな研究ですか、わかりやすく教えてください。
 
【東アジアの石製装身具】を研究しています。
*研究対象は読んで字のごとく「石でつくったアクセサリー」です。
現在でも販売されていますが勾玉や管玉といえば分かるでしょうか。
私は縄文時代のアクセサリーを研究しています。

*古代の人にとっては、単なる飾りではありません。
シャーマン・巫女・村長など特殊な能力や地位・仲間の印、などを
表現するために身に付けたと考えられています。

また、それ自体がお守りのような呪術的なものだったと
考えられています。縄文人の心や精神世界を復元することは
容易ではありませんが、縄文人に近づけるように研究を重ねています。

*石製装身具の研究は、
どのような石を利用しているか(石材)、
どのような作り方をしているか(技術)、
どのような形でそれがどう変化したか(形態)、
どのように使用されたか、などについて研究します。

石材は、今は壊さずに分析する技術があり、
産地まで特定することも可能です。この中で、私は石材を
分析してどのような石を使っているかを研究しており、
九州では、縄文時代後期後半(3500年程前)に
クロム白雲母という綺麗な緑色の石で作ったアクセサリーが
流行したことが分かりました。
今、このアクセサリーの流行範囲を調べています。
 
 
Q③大坪先生がこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。
 
私が縄文時代の石製装身具を研究し始めたのは、
恩師の研究の一環としてのお手伝いからです。
卒業論文は中国(中華民国)東北地方の石棺墓
(せっかんぼ)というお墓、修士論文は支石墓(しせきぼ)という
縄文時代の終わりに韓半島から伝わったお墓についてで、
アクセサリーではなかったのです。

今、実は「九州ブランド」と銘打って研究・宣伝している
縄文時代後期後半(3500年程前)に九州に大流行する
アクセサリーがあるのですが、その石材はとても鮮やかな緑色で、
ヒスイと間違われることが多かったものです。

縄文時代後期後半のアクセサリーは緑色の石が多い、とは
言われていたのですが、石材の確定は曖昧なものでした。
当時上司だった文学部の小畑弘己先生と、
ある研究会の休み時間に博物館に展示してあった
アクセサリーをみて
「これって○○遺跡の勾玉と同じ石みたいだけど」
「××遺跡の勾玉や管玉も似たような石だった気が・・」とお話し、
石器が御専門でもある小畑先生がひょっとしたら、
この時期のアクセサリーは全部同じ石かもしれない、
調査する価値がある、やってみろ、とおっしゃったのが
きっかけです。

その後、九州中のアクセサリーを調べたところ、
見事7割が同じ石でした。縄文人は単にその辺の石で
アクセサリーを作っていたのではなく、
決まった材料でアクセサリーを作っていたことが判明しました。

 
Q④これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
『九州ブランド』があると話ましたが、この石材は特殊です。
ながらくヒスイでもない、蛇紋岩でもない、緑色片岩でもない・・・と
謎の石でした。石を「○○石」「○○岩」であると決定するには、
顕微鏡でどのような鉱物で構成されているか、
特殊な機械でどのような結晶構造をしているのか、
を調べる必要があるのですが、
それには破壊しなくてはなりません。

石の正体は知りたいが、発掘資料は文化財ですから
壊すわけにはいかない、というジレンマが長らくありました。

そこで、表採といって遺跡で地表に出て来た土器や
石器を拾い集めるフィールドワークがあるのですが、
表採で拾って(それも文化財には違いないのですが)
分析資料にしようと考えました。
拾えそうな遺跡に行って目を凝らしてこの謎の石材を探し、
拾えた時には「やったー!!」と感動しました。

表採を提案して一緒に行ってくださった当時の上司
(現文学部)の小畑先生と大喜びしました。
あの瞬間は、忘れません。
※もちろん、拾った石はちゃんと分析して、
間違いないことは確認しています。
 
Q⑤今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
長野県付近から東側、所謂東日本はヒスイの
アクセサリーが流行した地域です。
反対に西日本はほとんどヒスイは流行しませんでした。

アクセサリーが完全に住み分けした状態です。
しかし、東日本にもクロム白雲母のアクセサリーが
伝わっていることが分かって来ております。

今後、どの程度、どこまで行っているのか、
地道に捜しあてながら探っていきたと思っています。
大きな課題は、このクロム白雲母は、
九州でもっとも量的に活用しているので、
九州のクロム白雲母を九州の縄文人は
利用したはずなのですが、
どこで採れるのかはまだ分かっていません。

是非、このクロム白雲母の原産地を探しあてたいと思っています。
時間をみては、山に入って沢登りもしています。
緑の綺麗な石の情報があれば、ご連絡ください。
 
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。
 
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熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 石田聖先生

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory  ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」
 
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
 
第12回の講師は石田聖特任助教です。

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Q①お名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:石田聖(IshidaSatoshi)
所属:熊本大学大学院先導機構
(政策創造研究教育センター内)特任助教
 
プロフィール
長崎県佐世保市生まれ。
2005年熊本大学法学部公共政策学科卒業
 
2007年熊本大学大学院法学研究科公共政策専攻
(修士課程)修了
 
2009年カリフォルニア州立大学サクラメント
校協働政策センター客員研究員
 
2011年ポートランド州立大学
NationalPolicyConsensusCenter国際客員研究員
 
2013年熊本大学大学院社会文化科学研究科
公共社会政策専攻(博士課程)修了
 
2013年5月~熊本大学大学院先導機構
特任助教に着任、現在に至る
専門は公共政策学、おもに環境政策や
まちづくりに関わる合意形成、紛争解決の支援手法、
組織開発手法の研究及び開発。
参加型政策形成に関する研究を行っています。
 
Q②石田先生の専門である「合意形成」とは、
どんな研究ですか、わかりやすく教えてください。
 
現代社会にはさまざまな対立があります。
その根底には国や人種、地域、文化、宗教、
思想、経済的利害など様々な原因があります。

たとえば、ダムや道路など公共事業をめぐって
行政と住民との対立もしばしば様々な形で現れます。
こうした問題が複雑であればあるほど、
誰が利害関係を持っているのか、解決に必要な
資源や技術を誰が、どんな組織が有しているのかを
把握することは難しくなります。
問題が長期化すれば、裁判など時間やお金がかかり、
関係者間の関係修復がますます困難になっていきます。

今日、社会が必要としているのは、
そのような対立を解決するための様々な実践や
それらを支える理論的根拠や枠組みです。
こうした理論や実践を研究するのが合意形成の
分野ですが、「合意形成」と聞くとなんだか
堅苦しい言葉ですが、難しく考える
必要はないと思います。

要するに、いろんな意見や価値観を持った
利害関係者の意見の一致、あるいは共通理解を
作り出していくための仕組みや諸条件を
考えていこうというお話です。
最近では、とくに議論などを通じて関係者が
持っている様々な意見を明らかにしていくことで、
互いの意見の一致を図る「プロセス」が、
日本でも導入されるようになってきています。

例えば、まちづくりや組織の現場で行われている
「ワークショップ」と言われる手法も
その一つの形態といえます。
原子力発電所の安全性や環境問題などを中心に、
一定のリスクについて、行政、市民や企業が
情報を共有して、意見の一致を図る取り組みである
「リスクコミュニケーション」と呼ばれるものも
合意形成の一つの形態といえます。

こうした取り組みの有効性や課題を考え、
話し合いの場の設定や情報提供のあり方が
円滑に行われるシステムを考えて行くことが
重要だと考えています。
 
 
Q③石田先生がこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。
 
私が学生時代だった90年代末から2000年代は、
様々な公共事業の計画をめぐって、
「無駄な公共事業」という批判もされていたように、
地域住民と政府との間で認識のズレや対立が
実際に問題となっていた時期でした。
私自身、長崎県出身で、現在も大きな問題に
なっていますが「諫早湾干拓事業」に
象徴されるような大型公共事業の問題もありました。

そのような中で、住民と行政、地域内の様々な
意見を持つ人たちが納得のできる計画を
作り出すことは非常に難しい問題であると
感じていました。また、とくに90年代後半以降、
市民と行政の協働、いわゆる「官民協働」と
いわれる動きの中で、市民やNPO/NGOの
まちづくりへの参加が注目を浴びている
時期でもありました。

実際に、私も大学院時代に熊本のまちづくりに
関わる委員会に参加したことがあるのですが、
その中で感じたのは、より議論を深め課題を
解決するのにあまり適切な人選がなされていない、
あるいは、いわゆる声の大きな人に議論の場が
支配されてしまっていて、なかなか自分の要望や
提案を言い出せない状況にある人やグループが
あることに気がつきました。

そうした状況を打開する方策はないかと
考えていたときに、熊本大学でアメリカの
先生を呼んでシンポジウムが開催されたことが
ありました。偶然その時に、参加していた
インディアナ大学の先生が帰国される際に、
当時、片言の英語を駆使して空港まで
お見送りしたのですが、その先生が訴訟など
対立的な方法を用いずに、関係者間の合意づくりや
多様な関係者を巻き込んだ形でのチーム作りに
詳しい先生だったのです。
帰りのバスの中で、その先生に私の問題関心を
話したところ「あなたはここに行きなさい」と
紹介されたのが、カリフォルニア州の
サクラメント市にある協働政策センターでした。
その後、大学の研究の一環で、
運良くそこに行くチャンスがありました。

そこでは大学に所属する研究者と実務家
(あるいはNGO/NPO)がタッグを組んで、
大学が中立的な第三者機関として、問題の解決や
計画作りに向けて、地域の(利害)関係者や
利用可能な資源をしっかりと把握した上で
話し合いの場を設定し、できるだけ多くの
関係者が納得するカタチでの公共事業や
都市計画の実現をサポートする活動に
取り組んでいました。アメリカでは
「メディエーション」と呼ばれたりする
支援の手法になりますが、そこでは大学が
中立的なアクターとして関わった場では、
これまで把握されてこなかった利害関係者や
協力者(時には反対者)が明らかになり、
従来の話し合いとは違ったアイデアや
解決策が生まれて来るということがありました。

課題が複雑で不特定多数の人が
関わるような問題では、行政担当者や
政策決定者である議員さんだけでは
把握できない問題やリソースもあります。
例えば、全ての議員さんが再生可能エネルギー
発電やその設置場所周辺の自然環境に
詳しいわけではありません。
周辺住民や近くで農林業を営まれている方、
あるいは強い関心を持っている市民や
環境団体の方がより問題に詳しかったり、
解決に向けて別のアプローチを持っている
こともあります。

そこで単一のアクターだけでは解決できない
問題を解決していくために、垣根を越えた
チーム作りが重要になっているというわけです。
こうした協働のチームを支える枠組みは、
学問的には「協働型ガバナンス」とも
呼ばれる事もあります。
そういった問題解決の場をサポート、
コーディネートできる人材の養成が
アメリカでは早くから取り組まれています。

また、合意形成を図るための手法や実践が
日本よりも蓄積されていると言われています。
このように大学が中立的アクターとして、
地域内の合意形成や対立の解消を支援する
という試みは、日本ではまだ十分に
確立されていませんでしたので、
もっと深く勉強したいと思い、
アメリカ西海岸への留学を決意しました。
そこで合意形成の研究に着手したわけです。
 
Q④「合意形成」などの研究をされていると、
穏やかで周りと軋轢を起こさない人物像が
浮かんでくるのですが、石田先生自身は
どのような人格だと自分を思っていますか?
研究が生かされているものですか?
 
興味深い質問ですね。実は合意形成を通じた
紛争・対立、あるいは地域課題の解決に
関心をもったのはここ4年くらいの話です。
自分でいうのもなんですが好奇心は
かなり強い方ですので、いろんな人のお話を
聞きたいので出来る限り明るく同じ姿勢で
コミュニケーションを図っていくことを
心がけています。

できれば、相手の「笑い」を誘うような話を
することを常にどこかで考えている面は
ありますね。初めてお会いする人や、
自分とは少し違う意見がある人と話をするとき、
本筋とは全く関係ない話から「笑い」を
引き出すことができれば、たとえその人と
意見が違っていても、お互い笑ったりできると
いう部分で、話していくうちに共通の関心や
新しい見解が生まれてくるのではないか、
ということを模索するようタイプが私です。
もちろん上手くいかないこともりますが…

しかし実際に、アメリカにいたとき合意形成の
実務家の中には、本筋とは関係ない
インフォーマルなおしゃべりや食事や
ティータイムの時間などを、合意形成の成果と
関連付けて、どのように話し合いの場を
デザインするかを真剣に考えている方も
いらっしゃるんですよ。
あとこの研究活動を通じて学んだのは、
相手の発言だけではなく、表情、身振りや
手振り、言葉や言語化できない表現手法
(デザインやグラフィック、音楽など)、
あるいは日本よりも人種構成が多様な
海外だと人種や宗教観など、いろんな要素が
場作りにとって重要だと考えるように
なったことですね。

周りからの噂めいた評価ですが、
私と旅すると普段は旅先で怒って意見が
ぶつかってばかりいた方が、
私と一緒の時だけは、なんら対立なく
スムーズに旅行できたとか・・・・
そんなことを言われたことがあります(笑)。
 
Q⑤私たち一般の人間が「合意形成」の方法を
使って、解決できる問題などありますか?
またその具体的方法とは?
 
これも非常に興味深い質問ですが、
合意形成は大きな問題だけではなく、
家族や友人、職場など身近な関係の中で、
お互いプラスになる関係を築く上でも
重要になってくると思います。
大切なのは、賛成・反対という表面の主張
だけではなく、その裏にある理由や
ニーズに耳を傾けて、それらを満たす提案や
代替案を出し合うことではないでしょうか。
同じ言葉でも話している人によって
すれ違ったりすることがありますよね。
そのために雑談などもある意味相手を
知るチャンスになりますよね。

例えば、雑談をするだけでもこの人は文系、
理系、あるいは体育会系、保守的または
先進的、直感的または論理的、
など特徴がわかってきますよね。
相手と意見が合わないからといって
「この人は自分とは違う」、と即時に
決め付けるのではなくて、相手の良い部分を
探すというのを心がけるということも
大事でしょうか。相手に対する見方に
決め付けや偏見を持たないことも大事です。
一般的に言えることかもしれませんが、
私たちが問題やトラブルが生じたときに、
自分以外の目に見えるものに安易に着目して、
それを原因として見てしまおうと
することもあります。問題を見極める努力は、
一方でその精神的な状況から逃避したいと
いう欲求との葛藤だったりします。
相手と意見が食い違ったりしたときは、
逆に相手だけではなく、自身もっと良く知る
新たな発見のチャンスとポジティブに
考えることを私も心がけたいと思っています。

公共事業の是非など社会的問題に関する
事柄だったら、その問題に関して新聞などを
通じて、より問題について知り、
関心を持つというのも身近な合意形成の
一歩だと思います。問題のスケールに関わらず、
相手(対象)のことを知るということが
合意形成の第一歩につながるのかもしれません。
むしろ、私も研究を通じて感じているのは、
身近な意見の対立を解消しているグループの方が
大きな問題についても合意の形成や
新たな解決策を生み出しているような気がします。
 
Q⑥これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
いろいろありますが、アメリカで
調査研究をしていた時に興味深かったのは、
カリフォルニア州北部で、ある地域が
水質汚染問題の対策について地元住民と
行政が協力して取り組んだ事例です。
その時にも、私が研究留学していた
サクラメントにある大学のセンターが
中立的支援者として、関係者の
話し合いの場を支援していました。
最初は水質汚染が問題になっている
流域住民の間で意見の対立が激しく、
なかなか話し合いもぎくしゃくしていて
上手く行っていませんでした。

そこで一度、実際の中身の交渉に入る前に、
話し合いの方法やコミュニケーションに
関して、数日間参加者全員でトレーニングを
積んで、実際に水質の悪化が問題になって
いる現地に皆で足を運ぶようなことも行って、
全員が共有できる認識や共通理解を
作りだすのに努めていました。

そこで食事やインフォーマルな感じで
話し合いを重ねていくうちに、
今度は話し合いの参加者の多くが
サンフランシスコ・ジャイアンツのファンだと
いうことがわかってきました。
中には、子どもさんが同じ学校に通われている
といった情報も明らかになってきました。
対立している人同士も、汚染が問題になって
いる河川付近での釣りが趣味だということも
明らかになっていきました。
大学が中立的アクターとして話し合いの場を
支援してきたわけですが、
このケースでは本来の水質汚染対策という
テーマを超えて、関係者同士の関係性や
利害を超えて互いの違いや共通の関心を
認め合ったりして、最初は口をきかなかった
グループが、数ヶ月経ってみると話し合いして、
何か解決策を考えようという雰囲気が
生まれて行くようになりました。

そういって話し合いを重ねて行くうちに、
彼ら自身チームという感覚が生まれ、
最終的には普段の仕事の枠を超えて
自分たちでデザインしたキャップや
Tシャツを作って地域の課題解決に向けて
取り組むチームを作り上げていました。
また、この話には続きがあります。
当初は大学がサポーターとして彼らの
コミュニケーションの場を支援して
いたのですが、彼らが地域の課題について
理解や学習を深め、話し合いの場作りに
自発的に関与するようになってから、
大学の支援を離れて、流域住民や
ステークホルダーの間で自主的に勉強会や
話し合いの場を設けるようになって
いったということがありました。

私がその水質汚染対策プロジェクトの参加者に
インタビューをとった時に興味深かったのが、
課題への取り組みを通じた話し合いの場を
通じて、プロジェクトが一段落した後は、
彼ら自身がトレーニングや実践で学んだ
話し合いの場作りや実践で得たノウハウを、
自分たちの地域の中で対立が生じた時や
イベント開催(例えば、フットボール大会や
ファーマーズマーケットの運営など)にも
応用するようになったと答えてくれました。
こうして多様なバックグランドを持つ人々が
相互に学習し、課題解決に向けて取り組む
環境を整えることによって、新たな出会いの場や
アイデアも生まれ、これまでと違った解決策や
地域のプロジェクトへの波及効果もあることが、
強く印象に残っています。
 
Q⑦今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
現在、アメリカで展開されている合意形成の
理論や実践の整理、たとえば成功事例や
失敗事例も含めてデータベースのような形で
整理していくことを検討しています。
ただ研究も文書の中で整理していくだけ
ではなくて、そういった合意形成の場を
支援できる人材育成のあり方を先進的な
地域から学んだり、また日本への
応用可能性を考えていきたいと思っています。

近年、私が学んでいたアメリカの方でも、
公共事業における対立や地域課題の解決に
向けて、私が留学していたような大学が
支援に関わっているのですが、
一言にアメリカの取り組みといっても
アメリカは日本と比べた場合、州や
地方自治体によって法律やいろいろな
制度が違います。また人種構成なども
様々ですので、例えば、カリフォルニア州で
上手くいった取り組みが他の地域で
上手くいくとは限りません。これは
日本でも同じようなことが言えると思います。

アメリカの方でも大学の研究者や実践家たちが、
これまでに得られた経験や教訓を共有する
ネットワークのようなものが出来つつあります。
そこでは、行政、地域住民、企業やNPOなど、
多様なバックグラウンドを持っている人たちが
上手く協働するためには、どういった場が
望ましいのか、どのような人による支援が
適切なのかなどについて真剣に議論が
重ねられてきています。
また、こうした議論はアメリカ国内だけで
共有されるものではなく、他の国や地域に
活用できないかといった知見も
共有され始めています。

こうした研究の動向をまとめ、
日本にも役立つ形でご紹介できれば嬉しいですね。
現在、まだ私の方でも動き始めたばかりですが、
熊本市内でも応用できないか考えています。
例えば、私が中立的な支援者として
介入することで、熊本大学周辺の学生街の
ゴミの分別状況改善などに、
こうしたアプローチが活用できないか
模索しているところです。こちらも地域の住民、
学生、行政の方々を巻き込んで環境改善の
取り組みにつながるような話し合いと協働を
実践する場を支援できればと思っております。

2月12日には、より具体的な事例やエピソードを
踏まえて「合意形成のためのチーム作り」に
関して講座を行う予定にしておりますので、
まちづくりや合意形成に関心のある学生、
行政の方、地域住民の方々に
ご参加いただけると有難く思います。
まだ日本、とくに熊本での応用など
模索し始めたばかりですので、今後、
いろいろな方と関わって行く中で、
私自身もっと勉強して、
協力者を増やしていきたいと考えております。
 
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。
 
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熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 松田光太郎先生

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory  ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」
 
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
 
第11回の講師は松田光太郎准教授です。

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Q① お名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:松田光太郎まつだこうたろう
所属:熊本大学埋蔵文化財調査センター
 
プロフィール
1966年8月8日東京都生まれ
1993年早稲田大学大学院(文学部)
考古学専攻卒業
1993~2012年神奈川県で発掘調査
2012年4月1日~
熊本大学埋蔵文化財調査センター准教授
 
Q② 松田先生の専門である「考古学」とは、
どんな研究ですか、わかりやすく教えてください。
 
考古学は、過去の人類が残した遺物や遺跡から、
人類の過去の生活を明らかにする学問です。
石器しか道具を持たなかった何万年・
何十万年前の時代から、明治以降、
戦前くらいまで研究対象とされています。
そのために、遺跡の発掘をしたり、
遺物を調べたりします。
 
Q③ 松田先生がこの研究に取り組むことになった
「きっかけ」のようなものがあれば教えてください。

私は東京の品川の出身。東京湾に近く、
家の近所に縄文時代の貝塚がありました。
昔学校の教科書によく載っていて、
近代日本考古学発祥の地と言われた大森貝塚が
自転車で30分の距離にあり、
よく友達行き、貝殻を拾っていた。
切手集め、石集め、土器集めなど、
収集癖があったのも関係していると思います。
 
Q④ 松田先生の研究テーマについて、教えてください。
 
縄文時代の土器がどのように変化したかを研究しています。
陶芸・粘土細工をする時、まずは、器あるいは何か、
使えるようなものの形にすると思います。
しかしそれだけでは、粘土の色しかなさず、
さみしい。何か色を付けたり、絵を描いたり
すると思います。
 
その時、頭の中に何もイメージがないと、
先に進まない。何かお手本があると
作りやすいでしょうし、無ければ以前どこかで
見たものを思い浮かべる。また誰も作っていない
独創的なものを作ろうとしても、そのイメージは
自分の経験の影響を受けるし、材質的な面では
その時代の技術に制約を受ける場合がある。
人の作るものは、限定されたものなのです。
 
縄文土器は今から1万3000年
(古く考える人は1万5000年)前に作られ始め、
弥生時代が始まるまで、約1万年余り、
日本各地で作られ続けるのですが、
その土器は少し前の土器の影響を受け、
そして次に作られる土器に影響を与える。
 
突然変異や枝分かれはあるのですが、
多くはずっとつながっていきます。
しかしそのつながりを調べると、
突然つながらなくなる時が縄文時代通じて
しばしばあります。その時、
集落も少なくなるので、気候変動などの
影響を受け、人口が減ったと考えられます。
 
Q⑤ 松田先生の研究テーマについて。
 
縄文人は、土器製作においては、
現代人以上の技術をもっています。
遺跡は日本全国にあります。
そして各地で土器が出土します。
 
土器の製作地はなかなか検出されませんが、
遺跡周辺のどこかで、土器の材料を調達して
作っているようです。
適した粘土はどこにあるか、どのような材料を
混ぜたら、土器が割れにくいか、
知っているのです。現代人は家の近所の
どこに適した粘土があるかは知らないでしょう。
また縄文土器には非常に手が込んだ
土器があります。デザートを食べる時に
使う竹製の細い二股フォークのようなもので
粘土の表面をまっすぐ引くと、
2本の平行直線が描けます。
 
次に、その平行線の右側の線に二股フォークの
左側を重ねてなぞると3本の等間隔の線が引けます。
そしてこの作業を繰り返し行うと、
たくさんの平行線からなる縞模様が描けます。
なぞる時に丁寧に重ねると結構時間がかかります。
縄文人はフォークの先端幅が3㎜のものを使い、
一回に引く長さを10㎝程度とするので、
1個の土器を作るには、500回以上この作業を
繰り返します。
 
そして縦線、横線、斜線、格子目など
色々な模様を互い違いに配し、
器の全面を模様で埋め尽くした精巧な
土器を作るのです。火炎土器などが、
有名ですが、他にも芸術的に優れたものが
たくさん作られています。
 
その一方、親しみを感じることもあります。
先の幅3㎜の平行線の土器は非常に繊細で
美しい土器なのですが、作るのが
大変だったのでしょう。その土器は長続きせず、
線の幅を広くし、本数を減らし、雑に描いた
土器に変化していくのです。
 
縄文人も楽をし、手抜きをするのです。
これが究極まで進むと飾りのない
無味乾燥な土器になります。しかし、
そういう土器は自分の村では使いますが、
交易品にはならないのです。
 
一方、同じ頃、遠く離れた地域で、
器用な人が手の込んだ土器を作り始めると、
その綺麗な土器が各地で使われたり、
模倣されたりします。
おそらく綺麗な土器は重宝され、
多くの人が欲しがったのだろうと思います。
またきれいな土器を作ろうと村々の製作者が
競いあったこともあったと考えられます。
縄文土器は、そうした楽をしようという変化と、
凝ったものを作ろうとする変化の
繰り返しのように捉えることができます。
 
Q⑥ 「考古学」というと、私たち素人は
「インディジョーンズ」のような発掘作業を
すぐに思い浮かべてしまうのですが、
実際の発掘作業はどんなものなんでしょうか?
(どんな格好でどんな作業を?
そもそも先生が発掘作業もするんですか?)
 
発掘作業は一言で言えば土掘りです。
最初は樹木を植える時に使う大きなスコップを
使って掘り、何か出てきたら、
砂場で使うような小さいなスコップに
持ち替えて掘ります。「カツッ」と遺物に
当たったら、竹べらやハケを取り出して
慎重に土を取り除いていきます。
 
たまにテレビで発掘場面が放映される時、
たいていこの竹べらとハケの作業を映すのですが、
それは最後の一部分なのです。
 
服は普通の動きやすい作業服を着ています。
発掘は真夏の炎天下でも、真冬の寒さの中でも
やりますので、体力と根気がいる作業です。
 
発掘はもちろん私もやります。
学生もやります。しかしそれでは人数が
足りないので、主婦の方や会社を退職された方々
にもアルバイトで来てやり方を覚えて
いただいて、行っています。
 
よく金銀は出ないのかとか、
恐竜の化石は?とか聞かれます。
金は古墳時代のお墓などを掘らないと出ません。
私も一度未盗掘のお墓を掘ったことがあり、
刀や首飾り、耳飾りなどが出、
中には金色のものもありましたが、
金は金でも金メッキでした。
また恐竜や化石の時代は、何億年、
何百万年も前で、地質学の対象であり、
考古学では扱いません。
 
Q⑦ 熊本県内の発掘ポイントをいくつかご紹介ください。
熊本の特長などありますか?
 
熊本県には、天皇陵こそありませんが、
古墳という、土を盛って作った
昔の有力者の墓がたくさんあります。
和水町(なごみまち)の江田船山古墳は、
明治6年に地元の人によって掘られ、
石室の中から太刀や鏡・玉・金銅製の冠や靴、
純金の耳飾り、甲冑(よろい・かぶと)など
多彩な副葬品が出土し、出土品は国宝に
指定されました。その出土品の中に、
表面に刻みを彫り、銀を流し込んだ
象嵌(ぞうがん)いう手法で文字を
刻んだ刀があります。
 
文字は今から1500年前のもので、
我が国最古級の文字資料の1つです。
中にはワカタケル(雄略天皇)と
考えられる名前が刻まれており、
古代史解明にとって極めて
重要な資料となっています。
 
また熊本県内には石室の中の壁を、
赤・青・白・黒などの顔料で彩色した
装飾古墳と呼ばれる
古墳があります。全国で640基ほどありますが、
九州にその半数強、熊本には全国の約3割が
存在し、日本中で最も多い。
図柄は丸や三角・菱形などの幾何学文様、
人物、武具、舟などがあります。
墓を守り、外部の悪いものを追い払う、
あるいは、死後の世界へ無事行けるように、
願ったと考えられます。山鹿市チブサン古墳、
弁慶が穴古墳などが有名です。
大陸に近いという地の利を生かし、
大きな勢力をもつ有力者が存在し、
独自の文化を作ったためでしょう。
 
ウマ年にちなんでもうひとつ。
熊本市中央区に子飼(こかい)商店街があります。
熊本大学から歩いて5分。平安時代の
『延喜式(えんぎしき)』という文献によると、
九州を統治していた九州最大の役所である
福岡県大宰府と、肥後の国(熊本県)の役所
(今の県庁)を結び、南は薩摩につながる
「西海道(さいかいどう)」という公共道路があり、
「蚕養(こかい)駅」という
宿場のようなものがあった。
 
そして中央に行く役人がここで馬を乗り換えるため、
馬を用意しておいたという記述があります。
熊本大学構内での私達の調査では、
この道路と思われるものや付随する
建物跡が見つかり、「蚕養(こかい)駅」が
ここにあったということがわかりました。
またこれを裏付けるように、大学の中で、
「馬」と書かれた土器が見つかっています。
文献に書かれた駅(昔はうまやと言った)が
実際の発掘で確認されるのは非常に貴重な例です。
 
この道は、南は白川を越え、
大学の敷地外になりますが、熊本市中央区新大江の
熊本学園大学・熊本県立劇場・熊本高校の辺りを
まっすぐ南下していたことが
熊本市の調査でもわかっています。
 
Q⑧ これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
土器、特に綺麗に飾られた土器は、
何百キロも遠距離まで運ばれることがあります。
土器が出土した地域の土器しか知らないと
変わった土器だなと扱われて終わりなのですが、
各地のものを知っていますと、
これは何地方の土器だなとわかることがあるのです。
神奈川県で青森県の土器を見つけたことが
ありますし、逆に山形県の日本海側で
関東の土器を見つけたことがあります。
熊本では近畿地方の土器は出ることがありますが、
東日本のものも見つかるかもしれません。
 
Q⑨ 今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
今後の活動
最近は、土器を薄く切ってガラスに貼り、
厚さ100分の2㎜の薄片を作り、顕微鏡で見て、
中に含まれる岩石や鉱物を調べることを
やっています。土器の中に含まれる砂や
小石や粘土と遺跡周囲の地層と比較をするのです。
土器は持ち運ばれて移動しますので、
このようなことを行うことで、
その土器の製作地を確実におさえることが
できるからです。
 
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縄文時代の人々の生活の知恵は、
現代人が見向きもしないような、
奥深いものがあります。
生活のための絶え間ない資源開発、
その行動力にはしばしば感心します。
 
こうしたものの中には現代人にとって
ヒントになるものがあると思います。
 
(こんなところに粘土資源がある。
こうしたら水がもれにくいとか。)
 
これは実際の遺物・遺跡を見て、初めてわかります。
私の職場の熊本大学の埋蔵文化財調査センターでは
昔の遺物を真近に見ることができますので、
是非お越し下さい。

埋蔵文化財調査センター
(お問い合わせ・見学お申込み電話番号)
096-342-3832
 
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。
 
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本日オンエアのこのコーナーをポッドキャストでも配信中。
 
詳しくはここ↓
 
 

熊大ラジオ公開授業「知的冒険の旅」 マスデン眞理子講師

あらゆるジャンルの注目の人にインタビューする
「ヒューマン・ラボ」。
 
11月から3ヶ月間にわたって
スペシャル企画でお届けしています。
題して「FMK Morning Glory  ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」
 
毎回、熊本大学の先生を講師に迎えて、
さまざまジャンルの研究テーマについて
お話をうかがいます。
 
第10回の講師はマスデン眞理子講師です。

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Q①お名前と職業・所属を教えて下さい。
 
名前:マスデン眞理子(ますでんまりこ)
所属:熊本大学国際化推進センター講師
 
プロフィール
出身は茨城県日立市。
高校の英語教員時代にアメリカからの英語指導助手の
人たちと知り合い、外国人に日本語を教えることに
興味を抱く。
高校教師の職を辞し、イリノイ大学(米国)の大学院で
英語教授法を学びつつ、同大学の日本語学科の
助手となる。卒業後、ボーディン大学(米国メイン州)
アジア学科で日本語を教える。
イリノイ大学で知り合った夫の仕事の関係で
23年前に熊本に移り住む。
以来、熊本大学の留学生に日本語を教えている。
 
1982年学習院大学文学部英文科卒業
 
1982年茨城県立佐竹高等学校・
磯原高等学校の英語科非常勤講師。
 
1983〜1986年茨城県立山方商業高等学英語科教諭。
 
1986〜1990年米国イリノイ大学
(University of Illinois at Urbana-Champaign)で
T.E.S.O.L(Teaching English as a Second Language)の
修士号を取得。その間、同大学日本語科の
Teaching assistantとして日本語教育に携わる。
 
1990〜1992年米国のボーディン大学
(Bowdoin College)のアジア研究学科の専任講師。
 
1993〜1995年熊本大学文学部助手。
 
1995年から現在熊本大学留学生センター
(後に、「国際化推進センター」に改組)講師
 
Q②マスデン先生の専門である
「日本語教育と異文化理解教育」とは、
どんな研究・活動ですか、
わかりやすく教えてください。
 
日本人に対する「国語」とは区別され、
日本語教育とは日本語を母語としない学習者に
日本語を教えることです。
多様な学習者のニーズに合わせて効果的に
日本語を教えられるよう、
教材や教授法が開発されています。
 
また、日本語学習者が日本語で適切な
コミュニケーションをするためには、
語彙や文法の知識だけではなく、
異文化の理解も欠かせません。
私はこの異文化理解の中で、どのような常識の
「違い」が相手からは「間違い」と
受け取られるかという点に興味を持っています。
 
 
Q③マスデン先生がこの研究・活動に
取り組むことになった「きっかけ」の
ようなものがあれば教えてください。
 
恥ずかしながらまだ研究といえるほどの
ことはできていないのですが、日本語と英語の
用法の比較を通し、日本語は曖昧に責任逃れを
したり相手を煙に巻く表現が日常的に
多いのではないかということが気になっています。
 
例えば、誘いや依頼を断る時、
できない理由には触れず、
「うぅん。ちょっと…」とか「うぅん、
私はいいんだけど、世間がうるさいから…」で
誤摩化してしまう。こう言われた側はだめだと
いうことはわかるものの、
理由は自分で想像するしかない。あえて尋ねれば、
それがわからないあなたは私とは同質ではない、
つまり仲間ではないという烙印を押されて
しまうのではないかとの思いで
議論できなくなるわけです。
 
一方、いちいち主語を立てて文として
発話することを求められる英語でこういう
断り方をすると、子どもっぽいとか
不誠実だという印象を相手に与えてしまいます。
自立した大人として自分の発言に誠実に責任を
持つことが求められるからです。
 
日本の社会では思いやりが尊ばれていますが、
みんなに合わせることが思いやりや
仲間意識ではないはずです。
 
特にグローバル社会では異文化との共生が
重要となってきます。それぞれに異なる
他者である私達が、仲間内の同質性に閉じてしまい
言いたいことを言わない、そして相手にも
言わせないという関係よりも、自分も
(言い方には注意するけれど)言う、
相手の言い分も聴く、という関係のほうが
楽しいのではないでしょうか。
そんなことを考えています。
 
Q④マスデン先生の研究・活動テーマについて。
留学生へ日本語を教える講義ですが、
実際にどんな風に教えているのですか?
どんな教材を使って?どんな授業を?
 
百聞は一見で、授業を実際にお見せしたら
わかりやすいのでしょうが、中学の英語の授業や
大学の第二外国語の授業との違いが
イメージできるよう、ご説明したいと思います。
 
まず留学生といっても日本語力も国籍も
年齢も身分も(学部生・院生の他に研究生や
交換留学生、研究員などさまざま)実に多様です。
熊大には留学生が約400名いるのですが、
そのうち日本語の授業をとっているのは
約100名です。
 
レベルは入門から上級まであり、
理系大学院の留学生たちは入門レベルから
始める人が多く、日本で生活するうえで
最低限必要とされる日本語会話を学習します。
 
熊大では初級レベルはインドネシアや
バングラデシュなどからの理系大学院生が多いです。
一方、文系は上級レベルがほとんどで、
日本語で論文を読んだり書いたり
できるようになることが求められます。
 
外国語学習といっても、日本人が日本で
外国語を習うのは違って、留学生たちは
すでに日本に来ているため、授業以外にも
日常生活でたくさんの日本語に触れています。
 
ですから特に初級の授業では
コミュニケーションに役立つよう
「意味のある文」を教科書で提示します。
(一昔前の英語の教科書のように、
”This is a pen.Is this a pen?”という文のように、
実際の場面で発話しないだろうと
思われるような文はあまり提示しません。
ただし、教室の中の言語はやはり
現実の自然なやり取りとは違う面もあります。
 
例えば、学生に時間の言い方を教えるときは、
「(先生)今、何時ですか?」
「(学生)いちじです。」
「(先生)はい、そうですね)
↑現実だったら、「ありがとうございます」
 
初級クラスの文法の説明は多言語の文法解説書が
あればそうしますが、英語の解説を
熊大の授業では使っています。
中級以上は日本語で日本語の文法や語彙の
ニュアンスを説明します
(日本の中学や高校の英語の授業で
英語だけで文法を説明しようという動きも
あるらしいのですが、初級レベルでは
大変だろうと思います。)
 
日本語は敬語があるから大変だろうと
思われる方が多いと思いますが、そこに行く前に
初級レベルでぶつかる壁は「動詞のて形」、
つまり、「食べる」や「食べて」、
「行く」は「行って」、「読む」や
「読んで」という形。「っ」が入ったり、
「んで」になるなど、ただ暗記するしかない。
また、最初は丁寧体(です・ます体)から
教えるのが普通です。
 
先生や年上の人に、普通体(食べる?見た)で
話しては失礼ですから。
丁寧体が定着してきたころに、普通体を教えます。
 
英語なら、Did you eat lunch?なのに、
日本語では「お昼ご飯食べましたか」
「お昼、召し上がりましたか」
「昼ごはん、食べた?」「昼飯、喰った?」と
表現の幅が広い。
敬語ばかりではなく、普通体を上手に使うことに
よって人との距離を縮めることもできるのですが、
丁寧体から普通体のシフトは形は覚えても、
いざ、どのタイミングで普通体に
移行するかが意外と難しい。
 
こんな話をすると、やっぱり日本語は外国人に
とって大変難しい言語だと思われるでしょうが、
そうとも言えません。
話し言葉では、一つの単語で文になってしまう。
例えば、英語なら単語だけで言うのは幼児だけで、
I like it.というように主語、目的語を含む文に
しなくてはなりません。
 
奥さんに「お茶!」というところ、英語でTea!なんて
失礼な文はいくら夫婦でも普通は言わず、
Could I have some tea? / Can you make tea for me?となる。
日本語のほうはずっと省エネですね。
 
日本語の授業では、語彙や発音、文法という面
だけではなく、文化や常識の違いにも目を向けさせ、
失礼な人と思われないようにしています。
 
Q⑤マスデン先生の研究・活動テーマについて。
※留学生は日本へどんなイメージを持って
やって来るのでしょう?
また、留学生が日本に来て一番戸惑うことは何か?
など具体的にエピソードを交えてお願いします。
 
う〜ん、これは意外と難しい質問です。
留学生は一様ではないので、人によっていろいろです。
日本の文化(マンガなどのサブカルチャーや、
茶道や武道などの伝統芸能)が大好きな若い留学生も
いますし、研究一筋で日本にいるのに
英語だけで生活している人もいます。
 
Q⑥これまでの活動を通じて、
最も印象深いエピソードをお願いします。
 
私はアメリカで生活していた時と比べ、
日本にではなんとなく無言の圧力を
感じることがあります。それは、
「わきまえ」という意識なのかもしれません。
上下関係やら立場のわきまえです。
 
その一つが家族間の呼称
(親や兄弟をどう呼ぶかということ)です。
 
英語では両親のことは一般にDadや,Momなどと
呼びかけます。
例えば、Hey,Mom,is this your book?
(ねぇ、お母さん、これ、お母さんの本?)という文で、
英文なら‘your book‘を日本語では
「お母さんの本」というように、
親に向かって「あなた」を使うことは憚られます。
こうしていつも、「あなた」ではなく
「お母さん」を使うことで、英語よりも
日本語では親子の立場の違いを意識し、
対等な議論は難しくなるのではないでしょうか。
 
さらに、上下関係について欧米では兄姉も
名前で呼ぶのが一般的ですが、
日本では年下の兄弟は名前で呼ぶものの、
年上の兄弟も名前では呼びません
(「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」とは言うが、
「弟」「妹」とは呼ばない)
また、先輩や後輩という関係も
欧米の学校には一般にはみられません。
このように家族間や学校での呼称において、
日本社会では上下関係のわきまえが
育つのではないかと思います。
上下関係をわきまえることを求められと、
議論が必要なときに今、ここで何を言うべきか
言うべきではないかという圧力がかかって
しまうのではないでしょうか。
 
もちろん、年長者への尊敬は大切ですが、
’I‘と’You’で議論できる自由が英語には
あることを痛感します。
かといって、国際化だから英語を使おうと
いうのではなく、日本語をより自由に
使いこなす途を探りたいと思います。
 
Q⑦今後の活動予定や
PRしたいことなどあれば教えてください。
 
自分の想いや気持を相手に率直に伝える方法として、
「アサーション」(自己表明、自己主張)の
手法が最近、アメリカやイギリスから
日本に紹介されました。
私も少しこれについて学び始めたところです。
日本では自己主張というと、
わがままと受け取られがちですが、
自分勝手に主張するのではなく、
相手が自分と異なる意見を持っている
ことをも受け入れつつ、自分の気持にも
相手の気持にも誠実になる手法です。
 
互いに自分の気持を上手に伝え合える
(察し合うのではなく)関係を作っていくための
日本語の使い方を学んでいきたいと思います。
 
以上、「FMK Morning Glory ヒューマン・ラボ
熊大ラジオ公開授業・知的冒険の旅」でした。
 
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