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名盤 IN A DAY

11月4日(木)の名盤は…

ある世代には懐かしく、またある世代には新鮮に響く

名盤の数々を紹介する「名盤 iNaDAY」。

今日は「プロコル・ハルム」の「青い影」を紹介しました。

バッハのカンタータを下敷きにしたオルガンと、ソウルフルな歌が素晴らしい

不朽の名曲といえるこの曲、

実は歌詞の意味がよくわからないことでも有名です。

全くの直訳で説明すると”酒を飲んで踊り、

騒いで暴れていたら気分が悪くなって、

彼女の顔が蒼白くなっていった”という感じです。

”はぁ~っ?”と言いたくなるでしょう?

この美しく荘厳なバラードが、

そんなおバカな歌のハズはないと思いませんか?

そう思えばこそたくさんの人たちが解釈を試みているのですが、

わからない。

途中で唐突に”The miller”つまり”製粉業者”という言葉が

登場するところもシュールです。

ですが、ここで第1の有力説が浮かび上がってきます。

メンバー自身もこの歌詞はデタラメ、意味なんかない、と発言していて、

まぁ、これを鵜呑みにはできませんが、

意外と事実なのかも、ということです。

1967年といえばサイケデリックな時代。

要するにトリップしている様子を表しているのでは?というもの。

第2の説は、実はこの曲は本来もっと長く、

シングル化する際にカットされた後半部分があって、

そこでは潜水艦とか海底攻撃という言葉が出てきて、

これは潜水艦員と彼女との愛の物語であり、反戦の歌でもある、

というもの。

そして第3の説は、いやそれは全部比喩であり、

性的なメタファーの曲であるとする説です。

どれも素直に納得できるだけの説得力がないんですよね。

結局謎は深まるばかり。

映画「コミットメンツ」の中でも、この曲について

”あの曲って歌詞が変だよね”というシーンがありました。

英語圏の人でも意味不明なこの曲、

案外そんなところが愛される秘密なのかもしれません。

でも世界で一番偉いのは、

本当ならば「顔面蒼白」とでも訳すべきタイトルを

「青い影」と訳した担当ディレクターですね。

もしかしたら誤訳だったのかもしれませんが、

秀逸な日本語のタイトルです。

「ガーランド・ジェフリーズ」

ロックは黒人音楽と白人音楽が混じり合って生まれたものだ、ということはこのコーナーで何度かお話ししました。

これは普段特別意識することは少ないかもしれませんが、

実はレベル・ミュージックとしてのロックを考えるときに非常に重要なことなのです。

今日紹介するのは、ガーランド・ジェフリーズ。

よほどの音楽通でなければ彼のことを知らないでしょうが、音楽性を各方面から高く評価される優れたミュージシャンです。

そして人種差別や貧困などの社会問題を鋭く、かつ温かく切々と歌う表現者です。

黒人社会、白人社会、プエルトリコ人社会の3つのバックグラウンドを持つ彼は、どのコミュニティからも疎外されてきたそうです。

ですから、黒人差別も許せないし、逆にブラックだけでつるんで白人を敵視する姿勢も同じくらい愚かであると訴えます。

少年時代の彼がロックンロールに深くのめり込んでいったのは、もちろん音楽としての魅力が一番でしょうが、

黒人音楽と白人音楽の融合でありながらも同じようにたくましく生き続け、世界中で愛されるまでになったロックンロールに自分を投影したのだと想像できます。

信仰にも近い思い入れ、いや、もはやロックンロールは自分自身なのでしょう。

そんな彼が1991年に発表したナンバーが「ヘイル・ヘイル・ロックン・ロール」。

強くもせつないロックンロール讃歌で、ロックンロールの創始者の名前を黒人、白人ともに4人ずつ合計8人平等に織り込んであるところが彼らしいところ。

面白いのは、この曲そのものはいわゆる典型的なロックンロールではなく、グラウンド・ビートっぽいグルーヴになっている点です。

これは1991年当時先端のサウンドで、彼が思うところの”現在の”ロックンロールということだったのだと思いますが、勝手にもう一歩進めて、ジャマイカのレゲエをベースに日本人の屋敷豪太がイギリスで完成させたこのビートこそ、ロックンロールの本質だと、彼が考えたのかもしれない、なんて想像するのは深読みのしすぎでしょうか?

お送りした曲はガーランド・ジェフリーズで「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」でした。

「R.E.M.」

今週はR.E.M.を紹介しましょう。

今でこそ”世界で最も重要なロック・バンド”と呼ばれる大御所となりましたが、

出発点はアメリカ地方都市のインディ・バンド。

初来日公演は学園祭ツアー(!)で、まばらな観客の前で演奏していたのです。

まあ、これは本国でもやっていたことで、そのおかげでカレッジ・チャートで人気に火が付き、

やがてインディのまま100万枚を売るという、80年代を代表する存在に成長していきます。

そしてついに破格の契約金でメジャーへ移籍。

名実ともに世界のトップへとのし上がることになります。

こういった長らくインディで活動したバンドがメジャーになると、古くからのファンから

”裏切った”などと理不尽な批判を受けることも多いのですが、

彼らについてはそういう話をほとんど耳にしません。

いまだに”隣の兄ちゃん”風の佇まいを残していることもありますが、

彼ら自身が大成功に対して、戸惑っていたり、懐疑的である感じが伝わってくるからでしょう。

1991年、メジャー第2弾アルバムからのシングル「ルージング・マイ・レリジョン」は、全米4位と彼らの最もヒットした曲です。

つまり大スターになった彼らを超大スターに押し上げた曲と言えますが、

これが彼らの胸の内を告白したような深い歌詞が感じられます。

本当のことはよくわかりませんが、彼らは歌詞を公にしていないのです。

しかし「ルージング・マイ・レリジョン、つまり”自分の宗教を失う”=生活規範、信ずるものを失う」というショッキングなタイトルや、日本盤CDに載っている非公式な聴き取りによる歌詞を拾ってみると、一般的には喪失感を歌ったものと解釈されています。

でもよく読むとラヴ・ソングのようでもあり、反偶像崇拝のようでもあり、戸惑いのようでもあり、希望の歌のようでもあります。

曲として聴くと、言葉の壁を越えて心の中に入ってきて、わかったように思うのは私だけではないと思います。

何か伝わる。

そして絶対に彼らは裏切っていない、僕らのバンドのままなんだと確信するんです。

掛け値なしの名盤だと思います。

ライブでは必ず大観衆全員で大合唱になります。

そんな”僕らの歌”がこれなのです。

お送りした曲はR.E.M.で「ルージング・マイ・レリジョン」でした。

「ソロモン・バーク」

今週は先日亡くなったリズム&ブルース/ソウル・シンガー、ソロモン・バークを紹介しました。

今年5月に待望の初来日公演を行い、70歳とは思えない元気な姿を見せてくれたばかりで、

今回もツアーでオランダへ向かっている最中の突然の死に本当にびっくりしました。

1960年代初期のアトランティック・ソウル隆盛の立役者ですが、

R&Bチャートではヒットが多数あるものの、ポップ・チャートでは上位に食い込めなかったため、

オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリンほどの知名度はないかもしれません。

しかし、彼には別の功績があるのです。

白人、特にイギリスのロッカー達への影響がとても大きいのです。

曲を聴けばよくわかると思いますが、ミック・ジャガーやヴァン・モリソンの歌い方とそっくりです。

もちろんミック達が真似しているのであり、多くの曲をカバーしています。

ソロモン・バークなくしてローリング・ストーンズは存在しなかった、とは言い過ぎかもしれませんが、

スタイルはだいぶ違うものになっていたかもしれないのです。

だからこそ彼につけられた称号は”キング・オブ・ロック&ソウル”。

その言葉に偽りのない、うまくて深くて強い歌声で、

本当に先週まで現役バリバリ、それどころか今が全盛期という説もあるほど

充実した活動を続けていたところの突然の死。

残念でなりません。

ご冥福をお祈りします。

今日は第2期黄金時代と言える近年の作品から、2005年の曲「アイ・ニード・ユア・ラヴ・イン・マイ・ライフ」をお送りしました。

この時、65歳。

今のもっと若いシンガーでこれだけ歌える人はいるんだろうかと考えさせられてしまいます。

本当に凄いです。

「パイロット」

人というのは何かと相手がかつて何者であったのか、気にしがちです。

確かに初対面に近い相手であれば、その人が以前どこに帰属していたかを知ることは、

性格や思想信条を予想するための重要な手がかりになるのは間違いありません。

音楽ビジネスの世界では、それを利用してプロモーションすることが少なくありません。

結果として、有名バンドにごく短期間在籍しただけで、

しかも音楽的にはほとんど貢献していない人でも

”あのグループの元メンバー、待望のソロ・デビュー!”なんてコピーが多数飛び交うことになるのです。

逆に、現在やっていることと、以前やっていたことが大きく異なる場合は黙殺されることもあります。

元アイドルで今はアーティスト、なんて人は、昔の話はNG、ということは珍しくないのです。

さて、今日紹介するバンドは”パイロット”なんですが、

この人たちの2人の主要メンバーが、実はブレイクする前のベイ・シティ・ローラーズのメンバーだったのです。

別に声高に売りにしたわけでもなければ、特に隠すこともなく、

普通に経歴として公言しただけなのですが、これは微妙でした。

ベイ・シティ・ローラーズのファンが飛びつくにはルックスが今ひとつで、

音楽的にも本格派的過ぎ、マニアックな音楽ファンからすると

”どうせ元アイドルでしょ?”とハナっから選択肢の中に入れようともせず、

結局誰にとってもメリットのない情報でしかなかったのです。

言わないほうがよかったのかもしれませんね。

しかし、それでもイギリス、アメリカともにそれなりのヒットを残しているのは、

楽曲そのものに力があったからに他なりません。

1974年の大ヒット曲「マジック」をはじめ、

ポップなロックン・ロール/パワー・ポップ好きなら誰もが夢中になること間違いなしの、

ビートルズ直径のイギリスポップスばかりです。

今日お送りした曲はパイロットの「マジック」でした。

9/30「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ」

今日は「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ」を紹介しました。

「そんな長い名前のバンド、知らないよ」という方も、

1982年に全米・全英ともにNo.1となった名曲「カモン・アイリーン」といえば

ピンとくるでしょう。

そう、彼らはアメリカと日本ではこの1曲だけの、いわゆる一発屋として

認識されているわけですが、本国イギリスではそんなことはなく、ヒットも多いし、

音楽的にも高く評価されているのです。

ただ、とても解りにくい部分があるのは間違いありません。

まず、バンド名からアメリカ出身と思っている人が多いのですが、

イギリス バーミンガム出身。

そしてバンド形態ですが、実際はリーダーのケヴィン・ローランドによる

ソロ・プロジェクトと考えたほうがいいでしょう。

アルバムは3枚、その後ケヴィンのソロ名義で2枚の合計5枚、

すべてメンバーが違うんです。

さらにそれにも関連しますが、アルバムごとに音楽性とファッションが

大きく変化するのです。順を追って説明すると、1980年の1作目は

ホーン隊を導入した60年代風ソウル/R&Bで、細身のモッズ・ルック。

1982年の2ndはメンバー入れ替えで、フィドルとバンジョーを導入した

アイリッシュ・トラッド風。

ヒゲに長い髪、作業着に素足でズック。

「カモン・アイリーン」はこの時代の曲です。

そして1985年の3rdアルバムではポマードで七三分けの頭に3つ揃いのスーツ。

音も上品になり、これがまったく売れず、解散。

1988年のソロ第一弾はネクタイをほどき、大きな襟のシャツをはだけ、

ラテンの遊び人風で音もラテン風味。

アルコール依存症でリタイアしたものの11年ぶりに復活した2ndソロアルバムでは、

ビキニパンツと女装姿で、内容は全曲カバー。

こんな感じで自業自得というか、自ら解りにくくしている感がありますが・・・。

でもファッションはともかく、サウンドはどれも味わいは違いますが、

素晴らしいものばかりです。

今日は「カモン・アイリーン」と同じ2ndアルバムから、

本国ではヒットした「ケルティック・ソウル・ブラザーズ」をお届けしました。

9/23「ブルース・スプリングスティーン」

今日9月23日は実はミュージシャン、しかも大御所と呼ばれる人達が

たくさん生まれた日です。

ジョン・コルトレーンが1926年、レイ・チャールズが1930年、

フリオ・イグレシアスが1943年、

そしてブルース・スプリングスティーンが1949年。

ということで、今日はBOSSことブルース・スプリングスティーンの曲を

紹介しました。

彼は曲の長さが長い曲に名曲がたくさんあるのですが、

時間の関係でなかなかON AIRされることが少ないということで、

今日はそんな曲の中から1曲、

1973年の2ndアルバムに収録されていた曲で、

まだ”世界のBOSS“に成り上がる前の初々しいスピード感が

ファンに大人気のおよそ7分にわたるナンバー「ロザリータ」でした。

9/16「バッド・カンパニー」

現在公開中のロック・バンドにかける青春を描いた映画「BECK」。

でネタバレにならない程度にこの映画の印象的な点を紹介すると、

“バンドというのは上手いだけではダメ、どうしてもこいつでなければ

という強い絆があってこそ化学反応が生まれる”ということです。

このコーナーでもこれまでにいろいろな音楽の化学反応をご紹介してきました。

では、そんな化学反応が最も起こりにくいのはどんなものかということを

今日は考えてみたいと思います。

それはスーパー・グループに他なりません。

スーパー・グループ・・・要するに、すでに人気も実績も富も名誉もある人たちが

集まって結成したバンドのことですが、

この手のバンドが大成功した試しはほとんどありません。

ほぼ間違いなく期待はずれに終わるか、珍しく期待どおりだったとしても

必ず短命で空中分解してしまいます。

多くの場合はビジネス優先なので、そんなのは論外ですが、

そうでない場合も、大物同士のエゴのぶつかり合いや、

主導権争いで終わってしまうという状況なのでしょう。

そんな中で、元フリーというバンドのメンバーが2人と、

元モット・ザ・フープル、元キング・クリムゾンのメンバーという

合計4人によるバンド、

バッド・カンパニーは、期待通りの成功と内容、

さらに10年続いたという数少ないケースだといえるでしょう。

とてもイギリス臭かった過去の3バンドと異なり、

アメリカを意識した音作りが功を奏したことと、

4人のバランスがとても良く、良い意味で肩の力の抜けた、

腹八分の演奏が衝突を未然に防いだのかもしれません。

名曲がたくさんありますが、

今日は1974年のデビュー曲「キャント・ゲット・イナフ」を紹介しました。

なんと彼ら、来月35年ぶりに来日公演を行う予定です。

9/9「トーマス・ドルビー」

今週は1980年代に斬新なエレクトロ・ポップ・サウンドでヒットを連発した

「トーマス・ドルビー」を紹介しました。

彼はイギリス人ですが、父親が優れた考古学者であったため、

エジプトで生まれ、イタリア、ギリシア、フランス、アメリカなどの

各地で育っています。

これが彼の音楽性の幅広さに大きな影響を与えたようです。

とにかく一筋縄ではいかないのです。

また彼は作詞作曲はもちろん、ギター、ピアノ、シンセサイザー、

さらには機材オペレーションからエンジニアリングまでマスターした

マルチ・プレイヤーでもあります。

20歳前くらいからパンク・バンドでキーボードを弾いたり、

様々なミュージシャンのサポートや裏方を務め、

そこで得たギャラを貯めてソロ・デビューを果たしたのが1981年。

修業時代に身につけたノウハウと人脈を駆使して作った作品は、

当然のようにヒットしましたが、

それ以上に他のプロ・ミュージシャンにとって衝撃的なものでした。

楽曲の良さ、演奏と歌唱の素晴らしさもありますが、ポイントは3つ。

まず、当時最先端の圧倒的なエレクトロニクス。

次に、ワンマンで全部できるにもかかわらず、

ゲストを迎えてのバンドサウンドが基本であること。

最後に、ものすごく革新的な音なのに、

普通のポップ・ソングとして耳になじむこと。

特にこの3つめが大きかったんです。

例えるならば、料理の時、塩を入れることで本当の甘みを引き出すように、

エレクトロニクスを導入することで、より生楽器が生々しく響く。

そんなコペルニクス的転回にいち早く反応したのが、

プリファブ・スプラウトやジョニ・ミッチェルといった

本来アコースティックなサウンドを得意とする人たちでした。

両者とも彼をプロデューサーに迎え、

アコースティックとエレクトロニクスの対比、

あるいは融合した妙に生々しいサウンドの傑作を完成させています。

こちらもぜひ聴いてみてください。

今日お届けしたのは、トーマス・ドルビーで「ハイパー・アクティヴ!」でした。

9/2「コン・ファンク・シャン」

今日は、ちょっと気の毒な運命を背負ってしまった

悲運のファンク・グループを紹介しました。

カリフォルニア州ヴァレイホ出身の7人組、コン・ファンク・シャンです。

彼らは1969年結成で1972年にレコード・デビュー。

本国アメリカではそれなりにヒットも飛ばし、

着実に人気を伸ばしていましたが、

ここ日本ではちゃんとレコードが発売されなかったり、

プロモーション不足もあり、なかなか知名度が上がりませんでした。

それでも当時ディスコに通っていたような人たちには強力なファンク・チューン

「ファン・ファン・ファン」をはじめ、大きな支持を受けていたのです。

そんな中、1981年にシングル・リリースされ、ラジオリスナーなどの

一般の音楽ファンに認知されるスマッシュ・ヒットとなったのが「タイトなあの娘」。

やっとブレイクしたかと思いきや、なーんか様子がおかしいんです。

ラジオDJは“小型版アース、ウインド&ファイア”という紹介しかしないのです。

確かにこの曲、アース、ウインド&ファイアにとてもよく似ていました。

どの曲に似てる、というんじゃなく、全体的に雰囲気がそっくりなんですね。

悪いことに、もうこのころは離れていましたが、

初期の頃の彼らのプロデューサーは

アース、ウインド&ファイアと非常に関係の深い人だったのです。

そうなると世間というものは“あーあ、やっぱりねー”という空気一色に

染まってしまいます。

すっかり“そっくりさん”のレッテルを貼られてしまったんですね。

彼らの名誉のために言いますと、確かにアース、ウインド&ファイアには

弟分・妹分グループ(例えばエモーションズ)がたくさんいましたが、

彼らは全く関係ありませんし、西海岸出身ですが、腕を磨いたのは

南部のメンフィスで、スタックスのハウス・バンドが出発点。

サザン・ソウルの伝統から出てきた人たちなんです。

アメリカではこの曲以上のヒットもたくさんあるし、

もっとヘヴィなファンクやディープなバラードで、

そんなにアース、ウインド&ファイアに似てはいないんです。

これ1曲だったんです。

しかしこの1曲が、うーん、やっぱり似ています・・・かね。

皆さんはどう思われましたか??

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