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名盤 IN A DAY

8/26 ビートルズ登場前のイギリスの音楽シーン

今月は、夏休み特別企画「生まれる前の音楽を聴いてみよう」として

お送りしてきました。最終回の今日はビートルズ登場以前の

イギリスの音楽シーンについてお話しました。

1962年10月、ビートルズがシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビュー。

ここからイギリスのロックン・ロールの歴史が大きく変化したことは

言うまでもありませんが、“歴史を書き換えた”のであって、

ここから歴史が始まったわけではないことは忘れられがちです。

当然、10代の頃のビートルズのメンバーたちを夢中にさせた

ロックン・ローラーがいたのです。

もちろん、その大半はアメリカからやって来た人たちでした。

でもそれは仕方ないことなのです。

ロックン・ロールは1950年代中期にアメリカで誕生した音楽なのですから。

イギリスも最初は日本と同じくロックン・ロールの輸入国で

しかなかったのです。このころのイギリスのヒット・チャートは、

もともとイギリスにあった大衆音楽と

アメリカ産のロックン・ロール、エルヴィスやエディ・コクラン、

バディ・ホリーといった人たちが混在するようなものだったそうです。

イギリス人にとって初めての身近なヒーローは、

1956年「ロック・アイランド・ライン」のヒットを放ったロニー・ドネガン。

これはまだロックン・ロールではなく、スキッフルと呼ばれる音楽で、

生ギター、バンジョー、洗濯板、茶箱で作ったベースなどを使った

「Do It Yourself」の精神にあふれたものでした。

スキッフル・ブームは2年ほどで終わってしまうのですが、

エレキギターなんか夢のまた夢という10代のイギリスの子供たちにとっては

自分で音楽をやろう、と思わせる絶大な影響があったのです。

ビートルズもスキッフルが出発点だったことは有名です。

このブームで楽器を演奏する楽しさに目覚めた若者たちに

エレキを手にする意志を固めさせたのが、

1958年デビューのクリフ・リチャードです。

爆発的人気を得た、という意味では、イギリス人ロックン・ローラーの第1号が

この人であるのは間違いありません。

この人自身はティーンエイジ・アイドルの側面もあり、

甘いポップスを歌うこともあったのですが、

バック・バンドのザ・シャドウズの存在がイギリス産ロックン・ロールの

元祖としての地位を強固にします。

クリフ・リチャードとザ・シャドウズこそ、イギリス産ロックン・ロール・バンドの

第1号なのです。

特にギターのハンク・マーヴィン。

1960年から1970年代のイギリス人ギタリストは

100%彼の影響を受けているといっていいでしょう。

スキッフルで音楽を始め、シャドウズに憧れてエレキを練習した人たちが、

後のブリティッシュ・ロック黄金時代を築くことになるのです。

クリフはビートルズに先駆けた4年間でNo.1を8曲、

25枚がシルヴァー・ディスク以上を記録し、

ビートルズ以前は完全にクリフとシャドウズの時代だったのです。

そして現在も現役で国民的スターに君臨しています。

お届けしたのは、

1959年の曲クリフ・リチャード&ザ・シャドウズで「ダイナマイト」でした。

リヴァプール・サウンド

夏休み特別企画「生まれる前の音楽を聴いてみよう」。

3回目の今日は、リヴァプール・サウンドを紹介しました。

リヴァプールとはみなさんお気づきの通り、地名ですね。

ビートルズの大成功以降、たくさんのイギリスのビート・グループが

日本に紹介されました。

それらをまとめて、日本のレコード会社やラジオ番組、評論家などが

ビートルズの出身地であるリヴァプールにちなんで付けたものです。

したがって日本独自の呼び名であり、本国イギリスでは通用しません。

イギリスではリヴァプールを流れるマージー川に由来する、

マージー・ビートという名前が一般的です。

しかし、イギリスでのマージー・ビートと日本でのリヴァプール・サウンドには

解釈に大きな違いがあります。

イギリスは地元だけに細かく定義されていて、”1962年から64年に

レコード・デビューした、マージー川河口のリヴァプール出身の

ビート・グループ“のことだけをそう呼び、同じマージー川流域でももっと上流の

マンチェスターのバンドはマージー・ビートとは呼びません。

ところが遠く離れた日本では知らないという強みというか、

なにしろ50年近く前のことでもあるので、マンチェスターはおろか、

ニュー・キャッスルやバーミンガム、さらにはロンドンのバンドまで一緒くたにして、

リヴァプール・サウンドと呼びました。

もはや名前の由来もなにもありませんが、

それでもリヴァプール・サウンドと聞くと、なんとも言えない甘酸っぱいような、

ほろ苦いような、

共通した瑞々しい感覚が甦ってくるのが不思議な感じがします。

今日はそんなリヴァプール出身ではなく、

日本で言うところのリヴァプール・サウンドから、

ザ・デイヴ・クラーク・ファイヴを紹介しましょう。

実は彼らは日本でも最初はリヴァプールに対抗する

トッテナム・サウンドという触れ込みだったのですが

ロンドン市民にしかわからない、あまりにもローカルな下町だったため、

“それ一体どこ?”ということになり、気が付けば本人たちにとっては

全く縁もゆかりもないリヴァプール・サウンドの代表格とされてしまっています。

彼らの持ち味はイギリスのバンドには珍しいサックスと、

やたら大きい音のドラムによるラウドなロックン・ロール。

しかし、日本でのイメージは何と言っても美しいバラードの「ビコーズ」。

誰もが認める珠玉の名曲ですし、リヴァプール・サウンドを体現する

大人気曲のこれが、実はイギリスではシングルのB面で、

彼らの持ち味とは違うものである、という事実が、

日本におけるねじれたリヴァプール・サウンドを象徴しているかもしれませんね。

お届けしたのは、1964年全米3位の曲

ザ・デイヴ・クラーク・ファイヴで「ビコーズ」でした。

8/12「スペクター・サウンド」

夏休み特別企画“生まれる前の音楽を聴いてみよう”

2回目の今日はスペクター・サウンドを紹介しました。

先週のモータウンはレコード会社の名前でしたが、

今回のは人の名前で天才プロデューサー、

フィル・スペクターの作り出した革命的な音楽のことです。

何が革命的だったのかと言えば、楽曲や演奏ではなく“音”そのもの。

文学の世界では、“何を書いたか”と“いかに書いたか”は、

どちらがより賞讃されるべきか?という議論がしばしば起こりますが、

これを音楽に置き換えると、フィル・スペクターという人は

“何を歌うか”にも“いかに演奏するか”にもまったく興味はなく、

“いかに録音するか”の一点にのみ命をかけたと言ってもいいでしょう。

1960年代初頭までのポップスのレコードの音はスカスカで薄っぺらで

貧弱で安っぽいものと相場が決まっていました。

これに我慢ならなかった彼は、自分の頭の中に鳴り響く重厚で

ゴージャスなサウンドをレコード盤に刻み込むために

ありとあらゆる試行錯誤を繰り返します。

こうして完成したのが、ポップス史上に輝く、“ウォール・オブ・サウンド”と

呼ばれる文字通り音の壁でした。

それまで誰も聴いたことのない、ブ厚い音の壁でありながら、

それは1枚の硬い壁ではなく、各楽器の音ひとつひとつは

もはや聴き分け不可能なほど混然一体の大きな塊となりつつ、

複雑に絡み合い、溶け合ったような感触の深い響きと前に出る音圧。

“エコー処理と多重ダビングの賜物”と考えられてきたのですが、

それだけでは誰がマネしても再現できないこのサウンド、

実は根本的に演奏する人数が半端じゃなく多いのです。

バンド編成なんてものではなく、20人から30人が

一斉に演奏していることが後の研究でわかっています。

コストと手間と時間がものすごくかかっているわけです。

このサウンドの衝撃はヒットを連発した事実もさることながら、

スペクター信奉者が後を絶たないことからもわかるでしょう。

ビーチ・ボーイズ、スプリングスティーン、大滝詠一、山下達郎など。

ウォール・オブ・サウンドに“やられた”人たちこそが

次の先端を駆け抜けているのです。

実はスペクターの全盛期は1962年から1966年のわずか5年しかありません。

“黒船”ビートルズがアメリカ上陸した1964年以降、

急速にバンド・サウンドのロックン・ロールと“何を歌うか”が

最重要視されるようになった時代の前には音の壁も

なすすべがありませんでした。

しかし、ビートルズもスペクター信奉者だったのです。

彼の偉業と精神は確実に受け継がれて、

21世紀の今日もその遺伝子は息づいています。

今日お届けしたのは、

1963年全米2位の曲ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」でした。

8月5日「夏休み特別企画」①

今月は夏休み特別企画“生まれる前の音楽を聴いてみよう”と称して、

4回連続でお送りしていきます。

夏休み中の学生さんにしてみれば1990年代の音楽でさえ、

自分が生まれる前のものになってしまうのですが、

1970年代から80年代の曲は普段のこのコーナーでよく取り上げていますので、

ここは私マツザキの生まれる前、

1960年代の音楽と限定してみたいと思います。

1回目の今日はモータウン・サウンドを取り上げました。

モータウン、というのはレコード会社の名前で、

1959年に自動車産業の街 デトロイトで設立されました。

モーター・タウンの短縮でモータウンというわけです。

モータウン・サウンドの特に全盛期は1962年から1968年くらいになります。

ソウル/リズム・アンド・ブルースの専門レーベルで、

南部 メンフィスのスタックスと同時期に人気を二分していました。

南部の田舎のスタックスが、いかにも黒人らしい

泥臭くディープなソウルだったのに対し、北部の都会のモータウンは、

洗練されたスマートなソウルで、白人にも聴かれることを

最初から考えていた点が対照的です。

面白いのはスタックスの社長は白人で、モータウンは黒人の社長だったこと。

あれ?逆じゃないの?と思いそうですが、白人だからこそ

黒人特有の感覚にカッコよさを見出し、

逆に都会の黒人にとってはそんな感覚は早く忘れたい、

白人と対等になるには洗練しなければいけない、という思いだったんですね。

そう、モータウンといえば明るく、若々しく、ポップ。

それを実現するための戦略が徹底していました。

優れた作曲家たちによる楽曲自体の素晴らしさ、ハウスバンドによる快活で

ファンキーな演奏の見事さ。

新鮮なアレンジとAMラジオで聴いたときに一番耳に残る音作り。

そしてダンスレッスンはもちろん、普段の振るまいや歩き方まで矯正する

アーティスト向け教室と、これら全てが効果を上げて

完成したのがモータウンです。

映画「ドリームガールズ」、「永遠のモータウン」、この2本を観ると

感じがつかめると思います。

モータウンの当時のシングル盤の袋にはこう印刷されています。

“The Sound Of Young America”。

そしてまさに当時のアメリカの若者の心をガッチリつかんだのでした。

今日お届けしたのは、1966年の全米No.1ヒット曲。

ザ・シュープリームスで「恋はあせらず」でした。

7/29「ストレイ・キャッツ」

暑いこの時期にこそ

汗の吹き出るようなロックン・ロールもいいのでは!?

というわけで、今日はストレイ・キャッツをピック・アップしました。

日本でも大変な人気を誇る3人組で、彼らの音楽のベースとなっているのは

ロカビリーと呼ばれるものです。

ロカビリーとは1950年代に誕生した音楽で、カントリーが

ブルース/R&Bの影響を受けて進化したもの。

「ロックン・ロールとは黒人音楽たるブルースの発展型である」と言われますが、

それだけではなくて、ほぼ同時期に白人音楽のカントリーからも

同じベクトルで新しいビートを生み出そうとした人々がいるのです。

黒人のロックン・ロールに対する白人からの回答、

それがロカビリーと言ってもいいでしょう。

なので、ロカビリーの特徴にはカントリーの性格が色濃く残っています。

ウッドベースを指ではじいたり、手の平で叩くスラッピング奏法で効果を出すのは

カントリーの流れですし、歌唱法も口ごもって発音するようなマンブリング唱法や、

しゃっくりするように声を裏返すヒカップ唱法など、

カントリーの手法を多く使います。

初期のプレスリーは完全にロカビリーでした。

実はロカビリー・ブームは1954年から1956年くらいのおよそ3年で下火となり、

その後25年近く表舞台に立つことはなかったのですが、

それをパンクを通過したスピード感で甦らせたのがストレイ・キャッツです。

彼らのすごといころは、パンク世代の若者はもちろん、

1950年代のロカビリーを知っている世代にも絶賛されたこと。

要するにルーツに忠実で本格的だったのです。

彼らの活躍で多くのバンドが登場し、

ネオ・ロカビリー・ブームが巻き起こりましたが、

両方の世代に支持されたのは彼らだけでした。

ちなみに彼ら3人ともアメリカ人ですが、イギリスの方がロカビリーを

理解してくれるのでは?とイギリスに渡りデビュー。

まんまと作戦が当たりました。

この時、航空券は4枚購入。1枚はウッドベース用だったそうです。

今日お届けしたのは、ストレイ・キャッツで「ロック・タウンは恋の街」でした。

7/22「ザ・パワー・ステイション」

今日は、

80年代を彩ったグループ「ザ・パワー・ステイション」を紹介しました。

パワー・ステイションは、当時世界的に大人気だったデュラン・デュランから

ジョン・テイラーとアンディ・テイラーの二人、それから知名度は今ひとつながら、

実力は誰もが認める名シンガー、ロバート・パーマー、そして最先端のサウンドで

実力No.1のファンク・バンド、シックからトニー・トンプソンとバーナード・エドワーズ

というメンバーが集まって作られたイギリス、アメリカ、黒人、白人と混じった

スーパー・プロジェクト・ユニットで、1985年にアルバム1枚だけを残し、

音楽ファンに強烈なインパクトを与えて台風のように駆け抜けました。

何がそんなに強烈だったかというと、楽曲や演奏も素晴らしいのですが、

音(サウンド)の感触そのものです。80年代、と言われて真っ先に思い出す音は

ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」のシンセサイザーの音と、

このパワーステイションのドラムの音、という方は多いんじゃないでしょうか。

以前このコーナーで話したことがあるんですが、

ゲート・エコーというやつを効かせた独特のドラムの音に、

目一杯ゴージャス感を散りばめた、

”自然界には存在しないのにリアリティを感じる”派手なサウンド。

これはすぐに世界中で真似され、80年代を象徴する音となったこれこそ

「パワー・ステイション・サウンド」と呼ばれるものの完成形です。

80年代にメガ・セールスを記録したアルバムを無作為に10枚抜き出したとすると、

半分はこのパワー・ステイション・サウンドであると言えます。

さて、ちょっとややこしいのですが、この場合のパワー・ステイションと言うのは、

このバンドのことではありません。

実はニューヨークにパワー・ステイション・スタジオというのがあって、

おおまかにいうとそこで録音、または編集された音のこと、

あるいはそこを中心に活動していた

エンジニアなんかが関わったもののことを言うんです。

例えばデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」、

マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」などもそうです。

もちろん、このスタジオの名前をそのままユニット名にした彼らも、

ここで録音しているのは言うまでもありません。

今日お届けしたのは

ザ・パワー・ステイションで「サム・ライク・イット・ホット」でした。

7/15「フーターズ」

今日は「フーターズ」を紹介しました。

例えば俳優には主役を張ってこそ光り輝くタイプと、脇役として全体をピリッと

引き締めてこそいぶし銀のように光を放つタイプが存在すると思うのですが、

まれにどちらでもイケるオールラウンダーがいます。

これを音楽に置き換えて考えてみましょう。

まずは、単独でもアメリカン・ロック史上最高のバンドのひとつと言われつつ、

ボブ・ディランのバックで主役を引き立てても天下一品の仕事ぶりを聴かせる、

ザ・バンドがいます。

そして、ザ・バンドほどスケールが大きくはありませんが、

今日紹介したザ・フーターズも、そんなオールラウンダーの代表です。

フィラデルフィアで1980年代初頭に結成された彼ら、

バンド名のフーターというのは日本では幼稚園や小学校の音楽の授業で習う、

ピアニカとかメロディオンと呼ばれる鍵盤ハーモニカのことで、

この楽器を効果的にロックン・ロールに活用している珍しいバンドです。

もちろん、楽器の珍しさだけで成功できるはずもなく、

ブルースやカントリーのアメリカルーツ音楽にしっかりと根ざしたうえで、

レゲエやアイルランド音楽まで幅広く取り入れた音楽性が素晴らしいからこそ

人気と実績を勝ちとることができたのです。ヒット曲もたくさんあります。

こうして自ら主役として脚光を浴びながら、

他のアーティストのバックに回った時にも見事なバイプレイヤーぶりを発揮します。

例を挙げようとするといっぱいあるのですが、特に有名なのは

1983年のシンディ・ローパーと、1995年のジョーン・オズボーンの

どちらも大ヒットしたデビュー作。

この2枚ともバックはほとんどフーターズが演奏。楽曲も多く提供しています。

彼らの活躍がなければ、この2枚の大ヒットはありえなかったかもしれません。

彼らの粋な点は、彼女らに提供した曲をヒットに便乗して

自分達で録音しないところ。

商売としては下手かもしれませんが、これがカッコいいですね。

しかし12~3年経った後、ベスト盤のおまけとして、ライブ音源でこっそりと

発表してくれた曲があります。

今日は、その曲「タイム・アフター・タイム」をお届けしました。

7/8「スティーヴ・ミラー・バンド」

今日は、7月21日になんと17年ぶりにニュー・アルバムをリリースする、

スティーヴ・ミラー・バンドを紹介しました。

デビューは1967年、40年以上に渡ってたくさんのヒット曲を生んでいます。

初期には、あのボズ・スキャッグスがメンバーにいたことも有名な話です。

そのサウンドの特徴はと言うと、

黄金のワンパターンと呼びたいほど一貫しています。

ブルースに深く根ざしてはいるものの、決して重くなることはなく、

むしろ飄々とした軽さのあるポップなロックン・ロール。これ一筋の40年です。

シンプルなロックン・ロールにはちょっと似つかわしくないとも思える、

近未来風・SF風でスペイシーなシンセサイザーによるイントロや

効果音が入ることが多いのもポイント。

この良い意味でカッコいいんだかダサいんだかよくわからないところが

最大の魅力かもしれません。

さて、先ほど17年ぶりの復活と言いましたが、

確かにこの間、ポール・マッカートニーとセッションしたくらいしか

目立った活動は聞こえていません。

しかし、この17年の間にむしろ若いファンが増えているのです。

彼らの1976年の大ヒット曲「フライ・ライク・アン・イーグル」が、

90年代以降にHip Hopネタとして、あるいはカバーされ、

何バージョンも作られており、いくつもヒットしているのです。

それにともなってもちろん原曲も人気急上昇。

ですから、20代から30代のクラブ世代にとってはスティーヴ・ミラーといえばこの曲。

50歳前後のリアルタイムで聴いていたというファンの方々にとっては、

「ジョーカー」や「ジェット・エアライナー」といったナンバーが想い出深いでしょう。

今日はアラフォー世代に懐かしい

1982年の全米No.1ヒット「アブラカダブラ」をお届けしました。

7/1「ブレッド」

今日は、1970年代に多くのヒット曲を生んだ

アメリカのアコースティック・ロック・バンド「ブレッド」を紹介しました。

もともとは自分で表舞台に立つことを目標としながらも、

スタジオ・ミュージシャンや職業作曲家として活動していた

デヴィッド・ゲイツが中心となって、

同じような境遇の2人とロサンゼルスで結成。

日本でも高い人気を誇り、リアルタイムではもちろん、

1990年代にも代表曲のひとつである「イフ」がテレビ主題歌に使用され、

リヴァイヴァル・ヒットしました。

日本人の心の琴線に触れる、なんともいえぬ美しいメロディとハーモニー、

それに長年の裏方修業で鍛えた完璧なアレンジが

時代を超え愛され続けています。

バンドとして決して元気の良いロックン・ロール・ナンバーが

苦手なわけではないのですが、先ほどご紹介した「イフ」をはじめ、

「二人の架け橋」、「愛の別れ道」といったソフト・ロック・チューンが

特に人気が高いのですが、

今日は彼らにとってはソフトとハードの中間の代表曲「ギター・マン」を

オンエアしました。

ステージ上で観客を熱狂させ、ハートをワシ掴みにしながら旅から旅を続ける

ギターマンの栄光と孤独を描いた名曲ですが、面白い逸話があるんです。

実はこの直前、ブレッドはメンバー交代があって、

当時ロサンゼルスのNo.1スタジオ・セッションマンであるラリー・ネクテルが

新加入しています。

で、この「ギター・マン」の印象的なギター・ソロは名ギタリストであるゲイツではなく、

ネクテルが弾いているのです。

言っておきますが、ネクテルという人、No.1セッションマンであることは事実ですが、

代表的な演奏はサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」を盛り上げるピアノ。

そう、キーボード奏者なのです。

もともとブレッドの楽曲はジミヘンやクラプトンなどの

ギター・ヒーローを必要としない音楽性ですから、

ここではロックの象徴としてのギターであり、

真の意味は”バンドマン”と解釈できるのではないでしょうか。

そう考えると、超多忙の中、バンドに加入してくれたネクテルへの

敬意の現れだったのでしょう。

6/24「ハート」

いきなりですが、問題です。

オアシス、ザ・キンクス、ザ・ビーチ・ボーイズ。

この3組のバンドの共通点は何でしょう?

答えはバンドの中に兄弟がいる(しかも中心的存在)ということ。

昔からなぜか同じバンドに兄弟がいる場合、

険悪な関係であることが多いのです。

ま、ヴァン・ヘイレンやAC/DCなど、兄弟仲の良いバンドもたくさんあるので、

印象が強いだけなのかもしれませんが。

では、姉妹はどうなんでしょう。あまり例が思い浮かびませんが、

そういえばアンとナンシーというウィルソン姉妹が率いる

ハートというバンドがいますね。

1975年デビューですから、今年で35周年。

他のメンバーは多数入れ代わっても姉妹だけはずっと変わりません。

現在ではバンドというよりも姉妹のプロジェクト・ユニットと言ってもいいほどです。

姉のアンはシンガー、妹のナンシーはギタリスト。

曲は2人で作るのでミュージシャンとしてはほぼ同格ですが、

黒髪でルックスはまぁ普通な感じのお姉さんに対し、金髪でスレンダー、

アクションが色っぽい妹の方が人気は上と言えるんじゃないでしょうか。

さらに、歌手としては力量の劣る妹が歌ったナンバー「ジーズ・ドリームス」が、

お姉さんの歌ではどうしても達成できなかった全米No.1の座を

初めてバンドにもたらしたのですから、

お姉さんが腐ったとしても誰も責めなかったでしょう。

でも、アン姉さんはいい人だったのです。

全盛期のライブ映像を見てみますと、

ライブの終盤、一番盛り上がったところで、No.1ヒットのこの曲を妹が歌い、

それをお姉さんのアンが嬉しそうにシェイカーを振りながら見つめ、

コーラスを付けている姿を確認することができます。

仲の悪い兄弟バンドに対して、”奇跡”とも言えるような姉妹仲は、

お姉さんの大地のように広い愛のおかげなのかもしれません。

今日お届けしたのは、

1985年の全米No.1ヒット。ハートで「ジーズ・ドリームス」でした。

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